無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10892日

 昨日、新しい学習塾ができたので、一軒一軒ご挨拶に回っていいますと言って若い女性がうちにも来たが、残念ながら小さな子供はいないよと言って帰ってもらった。お隣はお留守でしょうかと聞くので、隣も小さな子供はいないし、このあたり、どこを回ってもいないから、よそを回ったほうがいいと教えてあげたよ。わしが小さいときはどこの家にも子供がいてにぎやかだったがな。カンけりやったり、ボール蹴ったり、東京遊びとか大阪遊びとかいうのもあったな。どんなのかは忘れたが。らんこん、ぱっちん、たすけ、幼稚園以下の子供は、「かずのこ」と呼んで、鬼になることを免除されていた。今ではどの家も年寄りばかりで、あのときの子供らはみんな都会に出て行ったんだろうな。夕方になるとどこの家の煙突からも煙が出だして、そのうちに母親がご飯ができたよと呼びに来たら遊びは終了だった。今から思えば、生活は苦しかったが幸せな時代だったんだと思うな。

 しかし、このような生活はなにも戦後の一時期だけではなく、戦前からずっと続いていた生活形態だったのではないかな。わしの両親らにとっては自分らの子供時代の延長のような感じだったんじゃないかと思うんだよ。いつのころから、戦前と戦後を分けて考える習慣が身に付いてしまったのか知らないが、日本が金持ちなどといわれるようになったのはつい最近の事で、高度経済成長が始まる迄、戦前戦後関係なくずっと貧しかったんだよ。それではわしらが小さい時、暗い不自由で不幸な生活をしていたかというと、そんなことはない。気持ちの上では今よりよっぽど豊かだったような気がする。

 かく言うわしも実は若いときは戦前戦後を色分けして戦前を否定するという考え方をしていた時期があったんだ。しかし、親父やおふくろだけでなく、親戚のおじおば、その友人の皆さんの話を聞いても、わしらの青春時代となにも変わらんし、軍事教練なんかもしんどいけどみんなで楽しいこともあったと聞いた事もある。軍国主義で戦争一色の暗い社会だったみたいに戦後教育では教えられたが、案外そうでもないんじゃないかなと思うようになったんだな。ではなぜ戦後、このように戦前を全否定し、しかもそれが戦前を知っている世代迄浸透するようになったのか疑問に思っていたんだが、何年か前に江藤淳の「閉ざされた言語空間」という本を読んで、ああ、こういう事だったのかということが理解できたよ。わしなんか結構戦史や近代史興味があって他の人よりはいろいろ本も読んだが、これは知らなかったな。

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