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無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10783日

 民進党代表になった蓮舫氏(初めてれんほうと入れたが、驚いた事にことえりで一発変換したぞ。こんな字無いだろう。)10年ほど前の雑誌などでは日本人になることが不本意だったようだ。結局台湾籍を残していたようだから、まあそういうことなんだろうな。それぞれの国民がそれぞれの国に誇りをもつのは当たり前で、本来誇りを持てない人にまで日本国籍を認めるのがおかしいんだよな。

 わしが船乗りになって初めて東南アジアやインドに行ったのは、昭和48年から49年にかけてだったな。最初名古屋で5000トンほどの貨物船に乗船し、神戸、香港、シンガポール、ラングーン、チッタゴン、チャルナ、カルカッタに寄港して、なかなか面白い航海ではあった。今はどうか知らないが、この頃の貨物船は1つの港に4〜5日は停泊して荷役をするので、日曜日などを挟むと昼間でも遊びに出る事ができた。ラングーンなんか全部あわせると一ヶ月くらいいたような気がするな。

 ラングーン市内のYMCAで空手の道場を開いている人がいると聞いたのでちょっと覗いてみたんだが、ラングーン大学の学生が中心で、先生は昭和30年代に日本で空手を習った人だった。日本人が来たと知ると歓迎されたな。現地の人に最初に聞かれるのが、おまえはチャイニーズかということだった。チャイニーズはあまり好かれてないのか、ジャパニーズだと答えると途端に笑顔になり、話しかけてくることが多かったな。ラングーンの学生なども日本人とわかると、気を許すのか、ネウィンの軍事政権の批判もしたり、国外に出たいなどという事も言っていたな。

 ある日バス停でバスが来るのを待っていると、近くの家からおばあさんが出て来て、日本人とわかると、家に招待されたことがあった。お茶や果物をだしてくれて、この家にもむかし日本の兵隊さんがいたことがあったが、みんないい人だったと懐かしそうに話してくれたな。その人は日本軍の軍票も持っていたぞ。それを聞いてわしも日本人として誇らしかったよ。仲良くなったインド人の商店主が映画に連れて行ってくれたことがあった。おまえは日本人だからこれがいいだろうと、丹波哲郎がでていた「沖縄決戦」をみたんだが、映画が始める前に全員起立してスクリーンに映る国旗とともに国歌を聞くのには驚いたな。国歌演奏に起立しない日教組の連中は、こんな場合も当然座ったままでいるんだろうが、確実につまみだされるか、逮捕されるんじゃなかろうか。とにかく、わしが行ったアジアの国で嫌な思いをしたことなんか一度も無かったな。

 蓮舫氏が赤いパスポートになるのが嫌だったという古い記事があるようだが、この赤いパスポートが世界でどれほど価値があるか、おそらく蓮舫氏自身はよく知っているし、だからこそ利用価値があるんだろう。日本の平和ぼけもほどほどにしないと、今の子供が大きくなった頃には日本という国が無くなるんじゃないかと心配になるな。

 

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