無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10774日

 今日は天気もいいので、墓掃除に行って来た。すでにお彼岸に入っているが、ずっと雨だったのでしかたがない。入り花を立てるなとはよく言われるが、それもこらえてもらうしかないだろうな。ということで、途中のDCMダイキ重信店でしきびを買おうと思って駐車場で車から降りたときに、2歳の子供を抱いた従兄弟に出会ったんだが、50歳位でできた子供なんでかわいくて仕方が無いようだったな。最初わしが手を振ってもわからなかったようだったので、あとからその話を女房にすると、それは、わしが痩せて、貧相になっとるんでわからなかったんだろうと、独自の解釈を述べていたな。

 あと10817日で書いたように、墓は250万かけて直した物で、まあまあ立派なものなんだが、道ばたにあり、車が近くを通るのでうるさいときもある。これは親父が死ぬ前にわしら兄弟の判断でやったもので、親父自身は新しい墓の事は知らないまま死んだ。死んでからそれを知って驚いただろうな。墓地の周辺は、少し家が増えたくらいで、昔とあまり変っていない。すぐ近くを私鉄が走っていて、ときどきその音がするくらいで、あとは車の音と稲刈りのコンバインの音がしていただけだったな。私鉄も今は電車だが、わしが中学生くらいまでは、ディーゼル機関車が小さな客車や貨車を引っ張ってごとごと走っていた。

 その列車は普段はすいているんだが、盆や正月には満杯で、前後に機関車がついて、速度は自転車で走るくらいだったような気がする。今は電車になって、あっという間に着いてしまうが、今あのディーゼル機関車が田んぼの中をごとごと走っていれば絵になったな。おそらく全国から人が来るだろう。とはいえ、一時間に一本しか無かったから、今の時代ではやっていけないだろうな。