無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10401日

 昔は子供がたくさん生まれても途中で亡くなることも多かった。衛生状態や栄養面でも問題があったんだろう。話を聞いてみると、親父やおふくろの世代でも、兄弟全員が成人するということはあまり無かったようだ。わしは子供の頃にお墓参りに行く度に気になっていたことがあった。累代の墓の横に小さな墓石があって、そこに知らない名前が書かれてある。それが誰の墓なのか、その由来を知ったのはつい最近のことだ。

 その人は親父の弟として生まれたが、もともと丈夫ではなかった。生まれてまもなく、たぶんチフスと聞いた思うが、それに罹ってひどい状態になったらしい。田舎の事だから医者もいないので、市内の病院に連れて行くために、当時珍しかったタクシーを呼んできてもらった。両親(わしの祖父母)が赤ちゃんを抱っこして、200mほど先の県道まで歩いて行くのに、親父ら兄弟はついて行った。大丈夫かな、元気で帰ってきて.....いろいろ話をしたことだろう。「行ってくるよ。」と言ってタクシーは走り出した。

 親父と兄さんの二人は、家の前で遊びながら帰って来るのを待っていた。家の前は一面麦畑で、向こうに一本の県道が走っている。タクシーが走って行ったそのずっと先には、瀬戸内の海がかすんで見えている。県道と言っても走る車なんか一台もない。2人の兄弟は遊びながらタクシーが帰ってくるのを待ち続けた。夕方になり、遠くの山の端に沈む夕陽が麦畑を真っ赤に染め始めた頃、砂煙をあげながら、1台の車がこちらの方向に走ってきた。

 「帰ってきた。」2人は麦畑の中の小道を走って県道まで迎えに出た。タクシーから降りてきた母親は小さな、動くことのない赤ちゃんを抱いて降りてきた。「だめじゃった。」母親は一言だけ話して、あとは黙って並んで家に帰った。家に帰って布団を敷いて赤ちゃんを寝かせてあげた。これが親父から聞いた弟Dさん、わしにとってはD叔父さんの短かい一生の話だった。

 わしの祖父母も、伯父さんも、親父もみんな死んでしまったから、Dさんを知っている人はすでにこの世に誰もいない。100年もたてば大きな流れがすべてを包み込んで押し流していってしまう。わしは小さな墓石を見るたびにこの話を思い出すが、わしもあと少しでいなくなるだろう。そして同じ流れに押し流されていくんだろうな。