無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10687日

 嘘か本当か知らないが、船乗りが、船に飛んで来た鳥を捕まえると幸運が訪れる、という話を昔読んだ事があるが、わしは船に乗っている時に、鷹のような猛禽類を捕まえた事がある。あれは、ニューヨークを出港してアフリカ南端の喜望峰を回り、イランのカーグ島までの片道40日間の航海の時だった。ちょうどアラビア半島オマーン沖をペルシャ湾に向けて航行していた。最近なら、ソマリアの海賊が出現していたあたりだ。正午に当直を終えたわしは、昼飯を食べた後、ビールを持って甲板に出た。簡易ベッドに座って、海を見ながらビールを飲んでいると、遥か高いところを飛んでいる1羽の鳥を発見した。多分アラビア半島から飛んで来たんだろうが、勿論陸地は見えない。見渡したところ一隻の船も見えないので、羽を休める所といえば、この船しかないんじゃないかなと思いながら見ていると、その鳥はどんどん高度を落として船に近づいてきた。

 ひょっとすると、これはこの船に降りるんじゃないかと思ったわしは、下の甲板に隠れて、どうするのかじっと眺めていた。すると、その鳥は船の速度に合わせるように、並んで滑空しながら少しずつ近づいて来て、ブリッジ甲板の隅っこのほうに降りた。そこは遮蔽物がないので、向かい風のため、ものすごい合成風速となり、鳥も羽を少し広げた状態で甲板にしがみついているような感じだった。わしはそっと、鳥の降りたすぐ後ろの階段の下まで行ってみたが、全く気づいている様子はない。おそらく鳥も風圧で動けないんだろう。そこは会話もできないほど風を切る音が大きく、わしのほうが風下にいるし、しかもわしのいる位置は鳥にとっては死角になっていたので、気配もわからなかったようだ。

 これは捕まえられるんじゃないかと思って、一段一段階段を上がっていった。素手では抵抗されたとき危ないと思い、着ていた上着を脱いでそれを後ろから一気にかぶせると、全く抵抗するでもなく、あっけなく捕獲できた。両手で抱き上げてみると、さすがに嘴は鋭かったが、鳩より一回り大きいくらいで、穏やかな目をした鳥だった。アラビア半島では日本のように鷹狩りが行われているようなので、多分鷹だったんだろう。部屋に連れて帰って水をやってみたが全く口を付けなかった。サロンや食堂で人に見せたりしているうちに、日没まで後3時間になった。鳥は鳥目だから、暗くなると見えなくなり、200km以上先にある陸地にたどり着けないんじゃないかと心配になったわしは、急いで最上部の甲板に上がり、「陸地までちゃんと飛んで行けよ。」と声をかけて両手でおもいきり空に向かって放り上げた。鳥はすごい勢いで後ろに流されて行った。100mくらい流されたあたりで、くるっと旋回したかと思うと、うまく風に乗って上昇し、陸地の方向に向かって一直線に飛び去って行った。見えなくなるまで眺めていたが、そうしていると、ふとわしも日本に帰りたいなあと思ったのを覚えている。

 しかしその後、腕が痛くて肩から上にあがらなくなったり、ニューヨークで買ったばかりの万年筆を無くしたり、決して幸運が訪れたとはいえなかったな。