19歳の夏の終わり頃、隣の島にあった空手道場に、他の部員と一緒に稽古に行った帰りの船の中で、隣にいた人が突然亡くなるという経験をしたことがある。その時、見ず知らずの人とはいえ、人はこんなに簡単に、あっけなくなく亡くなるものかと無性に寂しさを感じた。あの土曜日の晩、S君、H君と3人で、夕方6時から9時まで、道場に行って稽古をしていた。学校で昼の稽古が終わってから、続けて夜になって、道場に行くのは大変だったが、若いということは無限のパワーを秘めているいうことかな。今では考えられない。
稽古が終わって帰る途中に、ビアガーデンに寄ってビールを飲んで、いい気持で3人はフェリーに乗った。客室は臭いし、まだ暑かったので甲板に出て話していると、50代くらいの夫婦が横に来て、旦那さんの方が手すりに腰を掛けた。月のきれいな土曜日の夜だから、おそらく夫婦で食事でもして酒も飲んでいたんだろう。普通は海に面した手すりに腰を掛けたりはしない。しかも夜だ。
狭い海峡を抜けた頃だろうか、船が多少右に舵を切った。その時だった。あっという声がして、隣にいた旦那さんの姿が見えなくなった。一瞬何が起きたのかわからなかった。体が動けなくなるし思考も止まったようだ。そんな中でH君が最初に「人が落ちた!」と大声を上げた。その声がブリッジに届いたのか、船は汽笛を鳴らしながら面舵一杯で回転を始めた。落ちた地点を起点にして面舵一杯で右方向に360度回転すれば元の場所近くに帰ってくることになる。
落ちたと思しき地点で停船して、みんなで真っ暗な海を探していると、50mほどさきの、月の光を反射してキラキラ光っている海面に頭が浮いているのが見えた。その時突然H君が助けに行くと言って服を脱ぎ始めた。船員が船を回すからやめろと止めてくれたからよかったが、飛び込んだらH君も死んでいたかもしれない。微速前進でゆっくりそちらへ向かったが途中で見失ってしまった。沈んだんだろう。
わしは、舳先あたりから海面を見ているうちに、すぐ下に人が浮かんでいるのに気が付いた。仰向けになって、顔も波に洗われていたので、息はしてないはずだが、まるで生きているように見えた。みんなで協力して車両甲板に引き上げると、肺から水が流れ出てきた。もう駄目だと思ったが体はまだ暖かい。奥さんもまだ生きているというし、周りの人も、人工呼吸をしたら助かるかもしれないと言い出した。
どうやらわしらが期待されていたようだ。商船学校の学生なんだから人工呼吸は知っていると思ったんだろう。わしらはニルセン式というのを習ったことは習ったが、あれで生き返るとはとうてい思えなかった。それでも上着を脱いで交代で始めた。30分くらいたった頃医者が来て、瞳孔を確認すると、首を振ってすぐに帰ってしまった。そこで終わりにすればよかったんだろうが、奥さんがじっと見ている以上やめることはできない。
そのうちに暖かかった体も冷たくなってきて、奥さんも納得したんだろう。「もう十分です。ありがとうございました。」と深々と頭を下げた。わしらのやった人工呼吸は気合いだけで、実際には何の役にも立たなかった。しかし、もしあのままで冷たくなっていく自分の夫を、ただ見ているしかなかったとしたら、なかなか死を認めることはできなかったのではないだろうか。役には立たなくても、誰かが助けようとして一生懸命やってくれたという事実が、奥さんに死を認める勇気を与えたんじゃないかと思う。
思い返せば、おふくろが死ぬ時も、親父が死ぬ時も同じことで、みんなが一生懸命関わってくれたという事実が、わしにも死を認める勇気を与えてくれたように思えてならない。