無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10561日

 わしは昭和48年に船乗りになって、今ではほとんど見られなくなった、カルカッタ定期航路に機関士として乗船した。そして、外国の港では商売人が船までやて来るという事を初めて知った。時計売り、散髪屋、靴屋、洋服の仕立て屋、果ては売春婦までやってくる。香港なんかは沖に停泊中に、 そういった連中が小船でやってくる。おそらく税関にチップを払って目こぼししてもらっているんだろうが、甲板から見ていると華やかな色の服を着たお姉さん たちを満載にした小船が、あっちの船、こっちの船へと走り回っている。なかなか見応えのある光景だった。

 そのうちに本船にもやって来る と、化粧のにおいをぷんぷんさせながら、タラップを上がって来て、各部屋をノックして回る。面倒でも、部屋を空けるときは必ず施錠しないと、危なくてしょ うがない。部屋に居るはずなのに鍵がかかっているときは、御多忙中ということだ。そりゃ若い男の部屋に、ミニスカートの若い女性が、下着をチラチラさせながら入ってくるんだから、誘惑に負けそうになるが、そこから先は理性との戦いだな。

 部屋から出てみると通路は所狭しと腕時計が並んでいる。 ROLEX、OMEGA、SEIKOいろんなブランドのものがとにかく安い。もちろん偽物なんだが、外観は本物そっくりにできている。時計は買うなといわ れていたが、中には土産用に買っていた人もいたようだ。わかって買うんだから、これはしょうがない。

 バングラデシュのチッタゴンでは、岸 壁に着いたらすぐに散髪屋がやって来て、タラップの下に、椅子と小さい鏡を置いて店を開いた。しかし、ここの散髪屋はケジラミを貰うからやめとけと言われ ていたので、誰も利用しなかった。2日目にはいなくなったから、他の船に行ったんだろう。

 カルカッタは海に面してないので、河をさかの ぼって、閘門を通ってドックと呼ばれる港に入る。ここも代理店と一緒にやってきたのが、靴屋と仕立て屋だった。靴屋はわしの履いている革靴のかかとが、か なりすり減っているのを目敏く見つけると、近寄ってきて修理を勧めた。幾らだったか忘れたが、考えられないくらい安かったので、試しにたのんだら、その場 で仕事を始めた。仕立て屋はインドサラサの生地の見本を持って来ていた。わしは、おふくろのワンピースが作れるだけの生地を買い、さらに自分のワイシャツ を2着作ったんだが、きちんと採寸して帰って、出港までに持って来た。これは、なかなかのできばえだった。

 今は外国へ行きたいとも思わんが、この頃は日本人が珍しがられた。まだまだ世界が広かったんだろうな。人生最後のコーナーを回りながら振り返って見てみると、リアルタイムでみた世界とはまた違ったものが見えて来るのかもしれんな。