無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10670日

 ここ最近では少なくなったが、わしが子供の頃は学校の火災が多かったような気がする。設備も悪かったんだろうな。わしの通っていた小学校も2回あったし、大学でも本部や図書館が全部焼けたことがあった。今と違って、高い建物が無いので家から見ていても炎や煙がよく見えたので、昼間であれば、わしら兄弟も子供自転車に2人乗りして見に行ったことが何回かあった。

 しかし、夜の火事になると距離感がわからなくなり、すぐ近くに見えてもずっと遠いということがよくある。わしが小学校3年の夏休みの夕方、夕食後兄貴と2人で暗くなる迄、家の前で自転車に乗って遊んでいたら、なんか東の空が赤く見えたような気がした。消防車のサイレンが聞こえたのでこれは火事だという事になり、すぐ近くみたいだからちょっと行ってみようということになった。

 それまで遊んでいた自転車を家の前にほったらかしにして、2人で空が赤く染まっている方向に向かって歩いたんだが、行けども行けども近づかない。いい加減で引き返せばいいんだろうが、ここ迄来たんだから、もうすぐだろうという安易な気持ちで、かれこれ30分くらい歩いただろうか、普段行く事がないようなへんぴなところ迄行ってしまった。

 やっと着いたら、既に火は鎮火してあと片付けをしていた。見ていても面白く無いのでわしらはそのままUターンして家に帰ったんだが、服装はと言えば、2人ともパンツとランニングシャツで、その頃の子供にとってはこれが夏の普段着だった。帰路はなんか気が重く、無口だったような気がするな。予感が的中し、家についたら案の定2人並んで座らされて、親父にこっぴどく、しかも長時間叱られたな。夜、小学生が1時間以上も行方不明になっていたんだから、わしが親でも心配して叱るだろう。しかし、叱られたのを今でも覚えていて、じじいになっても反省しているんだから、悪い事をしたら、有無を言わせず、問答無用で叱り飛ばすということは、やっぱり子供の教育には必要なんだろうな。