無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10573日

 あと10575日に書いたように、協会けんぽに関してはもう終わったと思っていたが、今日、資格喪失証明書が届いて驚いた。資格喪失日が4月11日になっているではないか。支払い期限が10日だから、わしはてっきりその日までに4月分を払わないと、4月1日に遡って資格が喪失すものと考えていたんだが、これはちょっと困ったことになった。4月7日に女房が眼科に行って健康保険を使わずに、10割負担している。しかし4月7日はまだ協会けんぽが有効だったということだ。今からでもその眼科医院に、協会けんぽの保険証を持って行ければいいんだが、そんなこととは知らずに、既に保険証は返却したので手元には無い。どうしたらいいか、とにかく協会けんぽに電話で聞いてみることにした。

 わしは若い頃から電話が一番の苦手で、顔の見えない相手と話すのは嫌だった。そういう時は、代わって女房に電話してもらっていたんだが、今回もお願いしてしまった。これも一種のコミュ障といえるんだろうな。協会けんぽが言うには、「資格喪失日が4月11日と書いてある資格喪失証明書を眼科に持って行って、経緯を説明したら大丈夫だと思いますが、もしだめだと言われたら、こちらから説明しますので、電話してください。」と実に親切な対応だった。午後4時を過ぎていたが、女房がすぐに眼科医院に行って話をすると、何の問題も無く7割分返金してくれた。明日午前中に市役所に行って国保の手続きをすれば、今度こそ完了だな。

 今回の様な、生活する上で惹起されるであろう様々なトラブルも、今までにも数多くあったはずなんだが、全く覚えてないから、仕事の合間に何となく処理していたんだろう。少なくとも、今回のように面倒だと感じたことはなかったように思う。ハローワーク通いにしても今回の件にしても、退職したら自由な時間はいっぱいあるんだから、いつでも気軽にできると考えていたが、案外そうではなかった。逆に時間があるから、かえって億劫になるという現実も見えて来た。仕事をしているときは、それが生活のリズムを強制的に作り出しているので、雑用が入ってもリズムが乱れる事は無いが、今の生活は何の強制も受けない分、ちょっとしたことでリズムが乱されるというふうに理解したらいいのかな。