無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10236日

 最近このブログで、俳句をやっていた当時のことを書いたことが何回かあり、そのたびに、当時の事を思い出すようになった。こんな機会が無ければ、ほとんど忘れていたこともたくさんあったが、いろいろお世話になった人や、新入会員として一緒に句作をした北原さん、凡草先生に勧められて参加した全国大会で詠んだ句なども思い出した。

見上ぐれば 凍てつく星の宴かな

これに選者の票が入ったときは嬉しかった。

 子供の頃から、つまらんことをいつまでもよく覚えているといって、親にも呆れられたものだった。短い期間だったが、当時詠んだ俳句は、その時の状況も含めて、今でも覚えている。しかし、これも度が過ぎると負担になってくるのかもしれない

 ついでにもう一つ、本社句会で、席題が「霞」だった時に詠んだ句だ。

矩形連綿一望団地霞かな

 これは、当時近所にあった、滝山団地やひばりが丘団地の光景を思い出して詠んだものだ。どうかなと思ったが、思い切って漢字だけを並べてみたところ、主宰者が講評の時に、この句を特に取り上げて、新しい感覚を持った句だと褒めてくれた。初心者にもかかわらず、句会でも票が入ったし、雑誌投稿でも、初めから3~4句取り上げられてたり、凡草先生にも、「あんたはうまい。」と褒められていたりしているうちに、普通ならますます精進すると思うんだが、わしの場合、逆にだんだんと興味が無くなってしまった。

 何でも、少しやればある程度できてしまうという、器用さはあるのかもしれないが、少しできたら満足して興味をなくすというこの性格が、成長を妨げてきた原因の一つかもしれないと、今では反省している。

 そこで先週、埃を被っていた山本健吉編「最新俳句歳時記」を取り出して、35年ぶりに開いてぱらぱらとページをめくっていると、かび臭いにおいがぷ~んと匂ってきて、経てきた時の長さを感じさせてくれた。本棚に一緒に並んでいた、山本健吉著「ことばの歳時記」を読み返しているが、この本は、わしが俳句をやろうと思って、最初に読んだ本なので、特に印象に残っている。

 昨日、庭に飛んできた黄色の蝶を見つけた。これは春の季語で「初蝶」というもので、35年ぶりに以下3句を詠んでみた。

 

ふうわりと 初蝶呼ばれし如く来ぬ

初蝶や 黄の束の間の舞踏かな

初蝶の ふと思う間に去りにけり

 

俳句もなかなか面白い。