無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと8490日 ポインセチア炎の恋をしてみたい

ポインセチア炎の恋をしてみたい

29歳の時に渋柿という俳句結社に入れてもらい、毎月1回大橋区民会館で開かれていた本社句会にでるようになった頃のことだ。参加者は既に70、80を過ぎた人たちで、当時の私から見ればおじいちゃんおばあちゃん達だった。

ある時その席で披露されたのが冒頭の俳句だった。作者の名前は忘れたが、ある上品な年配のご婦人だった。「まあなんと炎の恋とは思い切った表現だな」と思うと同時に、「歳を取っても本当にこんな気持ちになるものなのか」とか、「年寄りが恥ずかしくないのか」とか、29歳の私にはよく理解できず、これは単なる言葉遊びに違いないと結論付けたものだった。

あれから42年たち、年寄りは枯れてしまうもので、そこには愛も恋もないだろうと思っていた私もすっかり爺になってしまった。しかし別に枯れてもないし、女性と話したら楽しいし、気持ちの上では29歳のときと何ら変わることはない。そしていつのまにかこの俳句に何の違和感も感じなくなっていた。

ポインセチア炎の恋をしてみたい

うん、その通りだ。tysat1103.hatenablog.jp