無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10107日

 誰でも経験があると思うが、高校中学の頃、夏の午後になると授業中眠たくなったものだ。寝るときは気持ちがいいんだが、目覚めは汗びっしょりで最悪だった。理由はわからないが、寝たら汗をかくということは経験上知っていた。ところが今朝、そうではないことに気が付いた。歳をとると代謝が悪くなるということと関係あるのかもしれないが、女房が仕事に出かけた後、7時から10時過ぎまで、32度の室内で熟睡していても、全く汗をかいていなかった。

 一昨日、就寝中に熱中症で亡くなられた方がいたということをニュースで知った。その時は、そんなこともあるのかとちょっと驚いたが、自分とは関係ないことだろうと、それほど気にも留めていなかった。ところが、今朝10時過ぎに気持ちよく目覚めた時、部屋の温度計を見てわが目を疑った。32.5度といえば昼間ならエアコンなしではいられない温度だ。おかしなことに、目覚めると急に暑さを感じて、5分もしないうちに堪らずエアコンを入れたから、あのままずっと気持ちよく昼まで寝ていたら、体が何も感じないうちに、熱中症で死んでいたのではないかとぞっとした。

 昨日、今年の敬老会参加者の調査を町内に回したんだが、昭和23年9月16日以前に生まれた人が対象になっていたから、わしもいよいよあと3年で敬老会の仲間入りということだ。とうとうここまで来たかという感じだ。先週、長男の家に小さな子供用の鉄棒を設置したので、前回りでくるくる回って見せてやろうと試みたんだが、一回回っただけで目が回って頭がくらくらして、続行は不可能だった。鉄棒なんかは長いことやって無かったとはいえ、若い頃は難なくできたことができなくなっているという現実は、少し寂しいような気もする。

 2年前に買ったぶら下がり健康器も、半年くらいは懸垂運動をすいすいやっていたんだが、どうもやりすぎたようで、右肩痛に続いて左首筋から腕に痺れが出てきて大変なことになってしまった。御多分に漏れず、今ではハンガー代わりに使っているだけだ。買った時に、女房から年寄りの冷や水などとさんざん言われても、笑って取り合わなかったが、思っていた以上に体にはガタがきているようだ。

 体が若い頃のままで年をとれるなら、いつまでも長生きしたいが、去年出来たことが今年は出来なくなったり、朝目覚めて起き上がるのに時間がかかるようになったりすると、あまり長生きすることにも、抵抗を感じるようになる。昔、寮生活をしていた頃、「総員起こし」の合図で飛び起きて、支度をすることができたことが、今では信じられない。

 まあ、これが老化であり、これから様々な嬉しくない体験をすることになるということだろう。生老病死とはいうけれど、生病はすでに経験した。死は最後の一瞬だ。老はずっと背後に隠れていたが、今やっと表舞台に登場したという感じかな。そして、これから益々猛威を振るうようになるだろう。あと10107日の最期の日まで、せめて自分のことは自分でやれるだけの体力と健康は維持したいものだ。