無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと9209日 本の処分は難しい

明けましておめでとうございます

今年もよろしくお願いします

晦日の零時を回ってから新年の祝詞をあげて今年も始まった。

そこまではよかったんだが、なんと元旦の国旗掲揚を忘れてしまった。最低気温が3度では期待した雪も降らず、長男夫婦が早く帰ってきたり、風邪で寝込んでいる長女夫婦の家までカニを届けてやったりしていたら国旗のことをすっかり忘れていた。ようやく思い出したのが、すべての用事が終わった午後4時を過ぎた頃だったから、時すでに遅しだ。

2日、3日は起床後すぐに掲揚した。他に国旗をあげている家があれば、それを見て思い出すこともあるが、そんな家はゼロなので、自分で気を付けなければ女房も含めて誰も教えてくれない。

今年の正月はうれしいこともあった。一昨年の5月から、処分しようと2階の玄関先に積み上げていた、20年前に女房の父親の遺品としてもらった本を、女房の母親に引き取ってもらえたことだ。つまり元の持ち主の家に帰ったということだ。

漱石全集初版本、菊池寛全集初版本、徳富蘆花全集初版本、大日本史全巻、原敬日記、藤樹先生全集等、古本屋で買えば数万円もする本もあり、欲しい人にとっては値打ちのある本ばかりだった。

正月に泊りに来た女房の母親がそれを見つけて、あの預けてあった本を返してくれと言ってきた。あの本は別に預かったわけではなく、処分しても構わないという約束で形見分けとしてもらったものなんだが、どうしても処分できなかった私にとってはこれは渡りに船の申し出だった。

どうぞどうぞ持って帰ってくださいと言って、気が変わらないうちに迎えに来た女房の弟の車に積み込んだ。義弟は置くところがないのにとブツブツ言っていた。親がほしいと言うんだから仕方がないとはいえ、いい迷惑だろうな。

いつまでも積み上げていたのは、本を売りに行くのが嫌だということもあるが、それ以上に値打ちがわかる本当の古本屋が田舎には無くなったということが原因だった。老舗の店もつぶれて、目方で買い取るしか能がないような古本屋ばかりになってしまった。そんな古本屋に一山いくらで売ることは嫌だった。タダでもいいからわかる人に譲りたかった。しかしそんな人も見つからない。

そんなわけで、あの本の山を見るたびに憂鬱になっていたんだが、女房の母親の「あの本を返してほしい。」という声が天の声に聞こえた。本も元のさやに納まるのが一番だろう。義弟の車を見送った後、すっきりした玄関先を見て久しぶりに晴れ晴れとした気分になった。