元気でさえいればそれで満足だと思ってはいても、元気であればなおのこと、それだけでは満足できなくなるものです。
病弱だった子供の頃は、ただ元気であればということを望んでいました。しかし青年期になり、人以上に頑健になると元気でいることは当たり前で、ほかにいろいろ欲もでてきます。
20代の頃、こんな生活をしていると死ぬときに後悔することになるんじゃないかと思うようになり(脅迫観念にとらわれたというほうが正しいのかもしれません)様々な本を読んでいろいろ生き方を模索したこともありました。今でも本棚にたくさんの本が残っていますが、もう読むこともありません。
当時はおそらく精神的な健康を求めていてのだと思います。自分を支えてくれる柱を探していたのかもしれません。これは体の健康と違って、時間がたてば解決できるということではありませんから、一旦始めると終わりがないだろうということはなんとなくわかっていました。これも形を変えた欲望だったんだと思います。
しかしそんなことを考えたところで、社会生活を行う上では邪魔になることはあっても役に立つことは一つもありません。精神的健康などと理屈をつけて小難しいことを並べ立てても、精神的に豊かになることもありませんし、知識の蓄積など何の意味もありません。
還暦も過ぎて、「おてんとうさまに恥ずかしくない生き方」という言葉に改めて気が付きました。子供の頃、祖父母や両親によく言われていた言葉ですが、深く考えたこともありませんでした。しかし、この一言は日本人の英知でもあり、人生のすべてを言い表しているような気がします。どんな経文にも勝る一言であり、もっと早く気が付けばよかったと後悔しています。
誇るものなど何もなく、成し遂げたことなど何もなくても、「おてんとうさまに恥ずかしくない生き方」ができたと思って死ぬことができたら、それだけでいい人生だったといえるのではないでしょうか。
それを判定できるのは自分の良心だけです。