無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと9267日 アメリカ大統領選挙

ネットから情報を集めていると、今回のアメリカ大統領選挙が正しく行われたとは思えないんだが、当のアメリカ人はどう思っているんだろう。

本人確認もできない郵便投票。選挙は民主主義の根幹であり、スタートであるはずだが、本当にこんなのでいいんだろうか。民主主義の権化のようにふるまい、全体主義国家をたたいてきたあのアメリカが、自分たちの大統領を選ぶ一番大切な選挙がまともにできなくなっているというこの現実をどう見たらいいのか。

冗談ではなく、次回からはジンバブエのように国連の選挙監視団をいれて監視してもらう必要があるのではないか。

バイデンが過半数をとったと大手メディアが宣言して、バイデンは政権移行の準備にはいったらしい。トランプは裁判に訴えて引く気配はない。当選を大手メディアが決めるのだろうか。そんなことはないだろうが、とにかくこの選挙制度はわかりにくい。

学生の頃何かの授業で「アメリカ合衆国の政党と選挙」という高い本を買わされたことがあったのを思い出した。さっそく本箱を探してみたらまだあった。捨てられない性格というのも困ったものだ。大統領選挙のあたりを読んでみようと試みたが、情けないことに文字が小さすぎて読む気もおこらなかった。あの頃は別に苦にもならなかったはずだが。

しかし、アメリカの現職の大統領が、選挙に不正があったと裁判をおこしているのに、まるでそんなことなかったかのように、SNSからすべてのメディアが無視して、とっとと既成事実化しまうというのも民主的なやり方ではないだろう。

民主主義の根幹である大事な選挙が、外国に干渉されたかもしれないというのに、それに蓋をしてバイデン勝ったトランプ負けたとお祭り騒ぎをしているアメリカ。大事な選挙を虚仮にされたかもしれないとしたら、ここは本来怒るべき状況だろう。ひょっとしたらアメリカもここまでか。アメリカだけではない、行き過ぎた民主主義そのものが破綻に向かっているのような気がしている。

70年ほど前に、あの宋美齢にコロッとやられてしまったくらいだから、もっと巧妙な現在のチャイナにかかったらひとたまりもないのかもしれない。誰が勝ったかということよりも、民主主義国家としてのアメリカが信用できるのかどうか、それが問われているということに肝心の政治家が気付いているのだろうか。