無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと9217日 セルフWGIP

昨日今日と暖かい日が続いたので大掃除も捗り、この分だとゆったりとした年末をおくれそうだ。その代り明日から大寒波がやってくるようで、この辺りでも雪をみることができるだろう。

もしそうなれば雪の正月となり、雪国の人にはすまないが今からワクワクしている。今と違って、子供の頃はわりと頻繁に雪が積もることもあったように記憶しているが、それでも雪の正月というのは思い出せない。

うちでは年末にみんなが集まってカニを食べる習慣があるので、娘なんかの楽しみにしていたんだが、今回は集まることは困難になった。武漢コロナのせいではない。娘一家は風邪ひきのため、長男一家は大晦日当直のため元旦に帰って来るはずだったが、おそらく雪で高速道路が通行止めになるだろう。

そういうことで、30日から女房の母親が泊りに来るので、私たち夫婦と二男と4人の静かな正月になりそうだ。

今年は武漢コロナで無理だろうが、初詣に行くようになったのは中学生の頃からだったように記憶している。行くときはたいてい父親と一緒だった。歩いて15分くらいのところにある護国神社までの道すがら、よく朝鮮の営林署にいた頃の話をしてくれた。「髪を短く切りすぎた、元へ返せ。」と言って散髪屋を恐喝した営林署の不良職員の話など今でもよく覚えている。

当時は話を聞きながらずいぶん昔のことのような気がしていたが、父親は当時44~45歳くらいだったから、朝鮮時代は二十数年前の出来事だったはずだ。父にとってみれば、ついこの間のことだったのかもしれない。

今69歳の自分に当てはめてみると、40代半ばということになるが、それはたしかについこの間のことだ。自分の子供等と昔話をしていて、あの時は父はこんな感覚で私たちと話をしていたのかと思うことが最近よくある。

このように子供と大人で時間の感覚が違うのは事実だが、そこには年の差だけでなく、時間軸を狂わせる別な要因ががあることを忘れてはならない。戦後生まれの子供にとって、同じ昭和でも戦前の遠さは感覚的には明治時代とか明治維新の頃のようだ。これは戦後教育によって人為的に刷り込まれたものだと考えている。

大正生まれの人にとっては昭和は昭和だ。それは一つに繋がっている。しかし戦後生まれの者にとっては戦前戦後は全く別物で、前者は暗い、文化の遅れたつまらない時代で、後者は明るい、希望に満ちた進んだ文化の時代に色分けされている。

これもGHQが行ったWGIPの影響だが、いつまでこんなことを続けるつもりなのだろう。私なども、いつまでもアメリカに忖度しているのがけしからんなどと愚痴を言ってきたものだが、大統領選挙に絡んで、なんとそのアメリカがキャンセルカルチャーとかいってセルフWGIPにいいようにされているのだから皮肉なものだ。

あれだけ過酷なWGIPを実施されても、それでも日本には天皇陛下がいて、精神的に分断されることはなかったが、選挙で選ぶ大統領しかいないアメリカはどうだろうか。トランプ大統領が強権で押さえることができなければ、案外もろいのではないだろうか。

75年に及ぶアメリカの軛から逃れる日はそう遠くないのかもしれない。その前に日本が乗っ取られてしまっては元も子もないが。