無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10624日

 今の世の中、実際に行かなくても、インターネットに繫がっていれば、ストリートビューで、小さな路地の奥にまで入っていくことができるようになった。いつの間にか生活の中にとけ込んでしまって、あって当たり前の存在になっているが、居ながらにして、自分のペースでゆっくりと見て回る事ができるという、このストリートビューの出現は、わしにとっては実に画期的な出来事だった。

 本や映画等でみた地名を、地球儀や地図帳で探すしか方法がなかった時代、ウェストサイド物語のニューヨークやワイアットアープのウィチタ、アラビアのロレンス、チコと鮫で見たタヒチ等数え上げればきりがないが、わし等は地図で場所を探して、あとは頭の中で想像するしかなかった。小学生の時に、親父が日本百科大事典を買ってくれたので、それに出ている写真が、数少ない画像情報だった。本当に行けたらどんなにいいだろうと思ったな。

 当時、日本は貧しくて、ドルを持って海外に行けるのは選ばれた人で、金持ちだから行けるというものではなかった。言い方を変えれば、ドルを稼げる人、稼ぐ可能性のある人ということにでもなるんだろう。そんな中に外国航路の船員という職業も含まれていた。小学校の同級生で、父親が、外国航路の機関長をやっている子がいたが、その子が社会科の授業でペルシャ湾あたりのことを発表したことがあって、うらやましく思った事があった。また、自家用車を持っていたのは開業医の家と、その子の家だけだったな。そんなこともあり、海外へ行ける職業であり、金も稼げる船乗りになりたいという希望は募って行った。

 それから十数年たって、希望は実現したんだが、たしかに金は稼げたが、海外へ行きたいという希望はすぐに消え失せてしまった。知らない国へ行くと確かに面白いんだが、本で読んだり、映画で見たりして想像していたときのように、わくわくするものは無かった。わざわざ行かなくても、今ならストリートビューで十分代用できる程度のものだった。海外に行きたいから船乗りになるなどと、ずいぶん回り道をしたもんだ。

 結婚した頃、海外にはまったく行く気がなかったので、ハワイに新婚旅行という女房の案も断った。これは女房の両親の知人の家具屋さんが、サービスで一週間のハワイ旅行をつけてくれたもので、ただで行けたんだが、わしが断ったのでその話は流れてしまった。これに関しては今だに文句をいわれている。ごたごた言わずに、あれだけは黙って行っといたら良かったと、わしも後悔している。