無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10570日

 わしは昭和35年、小学校3年生の4月から転校した。別に転校したかったわけではないが、親が決めたんだから仕方が無かった。兄貴も、幼稚園からの友達もその小学校に通っていたので、親はわしもそこの行きたいんだろうと気を利かしたようだった。実際はそうでもなかったんだけどな。

 3月に筆記試験があり、その日の午後に結果発表、合格者のみくじ引きがあった。其の時は2名の募集に30名近く応募者があったようだ。たかが小学生の編入試験だから筆記試験で落ちるものはほとんどいなくて、あとはくじ引きだが、この時はすごい倍率だった。わしは5〜6番目に、お盆の上に乗せられてあった、30ほどの小さな和紙の包みの中から一つを選んで、横の先生に渡した。受け取った先生が、それをわしの目の前で開けて行く途中で、薄らと赤いものが見えて来た。何と書いてあったのか忘れたが、朱印が押してあり、先生がそれを会場に示して合格ですと言った。

 付いて来ていたおふくろも、兄貴もみんなこの倍率ではだめだろうと思っていたらしい。単に運がよかっただけのことなんだが、くじ運というのが本当にあると実感したのはこれからだった。それから暫くは、近所の駄菓子屋でくじを引いたらよく当たるし、漫画雑誌の懸賞にも当たるし、考えられないような幸運が続いた。それ以後こういう経験は無いから、ひょっとすると、一生のくじ運をこの数週間で使い果たしたと言えるのかもしれんな。

 それから1年後に友達のK君がこの学校の編入試験を受けた。この時は4名の募集に応募者5名の広き門だった。これは大丈夫だろうと、K君のお母さんもわしらも余裕で眺めていた。しかもK君は一番最初にくじを引くから、まさか1つしか無い「スカ」を引く事は無いだろうとみんなが確信していた。ところがなんと、くじを引いたK君が頭をかきながらこちらへ歩いて来るではないか。K君は「スカ引いたわい。」と苦笑いしていたが、わしは何と言葉をかけたらいいのかわからなかった。当然残った4人は全員合格で、全くK君の独り相撲に終わった感があった。出来る事なら前年のわしのくじ運の半分でもわけてやりたいような気持ちだったな。