無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10564日

 わしの住んでいる町には、10円易者と呼ばれた変った易者がいた。亡くなってから40年以上たっているので、若い人は知らないだろうが、当時は知らない人はいないくらいの有名人だった。夕方になると、市内のいろんな場所に屋台みたいなのを引いていって、その中で、やって来た人の話を聞いたり、手相をみたりしていた。見料10円で、最後に半紙に簡単な文と絵を書いてくれた。

 たしかあれは昭和50年の3月か4月の夕暮れ時だった。当時わしは船乗りをやめるかどうするか、もしやめたら何をするか、いろいろ悩んでいたんだが、ふと、あの10円易者のことを思い出した。易者に見てもらってどうこうなるものでもないが、見料10円だから、とにかく一度行ってみるかと急に思いたった。おふくろに聞いたら、今は堀端に店を出しているらしいというので、歩いて15分くらいだから、晩飯の前に行ってみることにした。1人で薄暗い、人通りの無い堀端の土手の下を、探しながら歩いていたら、遠くの方に、手の形をした看板の明かりが、ぼんやり見えてきた。

 前まで行ってちょっと逡巡したが、他に客はいない様なので、思い切って入っていった。中には小柄な、人のよさそうなおじいさんが座っていた。まあ、おじいさんといっても、今のわしと年はそれほど違わないんだがな。その時の会話は覚えてないが、最後に、1枚の半紙にいつもの絵と文を書いてくれて、そのあと言った言葉は今でも覚えている。

 にっこり笑っている人の顔、そしてその横に、『嫁さん金持ち、遊んで食える』と書いてある。そして最後に「あんた、心配ないよ。」と言った。

 ほう、わしは嫁さん金持ちで、一生遊んで食えるのかと、ちょっと笑ってしまったが、易者は真面目に話していた。この易者に関しては、変っているという話は聞いても、当たるという話は聞いた事無いから、面白い話を聞かせてもらったくらいのことで、見料を払って店を出た。見料を聞くと10円と言ったが、いくらなんでも10円おいて出るのも気が引けたので、100円おいてきた。帰っておふくろに話すと、「若いもんがシケタ顔して易者なんかに聞きに行きよるけん、適当に景気のええ話をしてくれたんじゃろう。あたればええな。」と笑っていたが、遊んで食えるどころか、その後の40年の貧乏生活がその結論をということだろう。