無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10455日

 お盆も近づいたので、仏壇の掃除をすることにした。位牌から何から、すべてを取り出して掃除するのは年1回なので、かなり埃がたまっている。いつも何気なく見ているだけで、仏具の配置なんかも、まったく頭に入ってないので、始める前に仏壇全体と、各部分を分けて写真に撮っておいた。再配置時の不安を取り除いておくのも大事な作業だ。手軽に写真が撮れるようになったので、本当に助かる。

 2005年におふくろが死んだ時、あわてて買いに走った仏壇も、今年で13年になり、11月に4日には、13回忌法要を行う予定になっている。月日がたつのは早いもので、位牌や仏具を取り出して、横に置いた座卓の上に並べながら、当時のことがいろいろ思い出された。親父が生きている時は、お盆には兄貴も帰ってきていたので、仏壇の掃除は兄貴がやったこともあったが、死んでからは全く帰らなくなった。親がいなくなったら、やはり帰りにくいのかな。夫婦で帰ると、10万円近くかかるから、経済的な理由もあるんだろう。

 仏壇の奥のほうに置いてある、弘法大師が子供を抱いた、子安大師像も久し振りに取り出した。この像の謂れについては、あと10510日に書いたとおりだ。終戦直後の物が無い時代だから、良い物ではない。わしの祖母が、悲しんでいるわしのおふくろと、死んでしまった孫の為に、峠を越えて何時間もかけて、水子供養で有名なK寺まで行って、もらってきたようだ。かなり汚れていたので、今回初めてティッシュペーパーで、一部をちょっと擦ってみたところ、その部分がピカピカに黒光りするようになった。これはすごいと、弘法大師が持っている杖を取り外して、本格的に全体を擦ったところ、少し灰色がかっていたのが、なんと、真っ黒の子安大師の変貌してしまった。弘法大師もびっくりだろう。

 最後に写真の入った額を掃除した。以前は一人一人の写真を掛けていたんだが、親父が死んで暫くして、2人で一緒に写った写真をA2にプリントした物に取り替えた。その写真は、おふくろが死んだ年の4月に、桜が見たいと言うので、この地方では有名な「う○○み桜」を4人で見に行った時のものだ。満開の「う○○み桜」の下で微笑んでいる2人が今にも話しかけてきそうで、我ながら、これはよく撮れていると感心している。

 この写真をきれいに拭いて、今年の仏壇掃除は終了した。いろいろ思い出しながらやっていると、時間はすぐにたってしまう。来年の今頃も同じ様な記事を書いているんだろうが、その頃はあと10090日ということで、もう4桁寸前だな。