無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10447日

 わしらが子供の頃は、小学校の教科書は親に買ってもらったもので、今のように、ただで配られたものではない。兄弟のいる家庭では、兄や姉の使ったお古を譲ってもらうということは、普通に行われていた。兄弟だけではない。近所のおにいちゃん、おねえちゃんが使ったものを、譲ってもらう事もあった。我が家でも全部ではないが、わしの教科書には、『八○○太』と兄貴の名前が書かれているものも、多数交じっていた。わしは、これが嫌だと思ったことは一度も無い。

 年によって教科書が変る事があり、そうなると、お古が使えないので、全部買わなければならない。出費も増えるので、その時は両親も残念がっていたな。わしは下がいなかったので、言われたことはないが、兄貴は、2年したら『○雄』が使うかもしれないので、教科書を大切に使うようにと、よく言われていたようだ。

 兄貴の使った教科書は、低学年の頃は、新品と変らないくらいきれいで、ちょっと見ただけでは、お古だとは気が付かないくらいだった。ところが、学年があがっていくに連れて、書き込みや落書き(主に漫画)が増えてきて、再利用が困難な状態になってしまった。兄貴は、生まれた頃は健康優良児で表彰され、幼稚園では神童といわれ、小学校3年くらいまでは、どうやら、その余韻が残っていたらしい。きれいな教科書はその名残だろうと、親父は話していた。わしは兄貴と同じ幼稚園に行ったんだが、園長先生にも、あの『○太ちゃん』の弟と言われていたから、有名だったんだろうな。

 そういえば、一年だけ通った普通高校で、理科年表を購入させられた時に、わしは一年でやめる気だったこともあって、兄が使ったのがあるからいらないと、断ったことがあった。その4年前までは、兄貴の教科書を使っていたんだから、わしには何の抵抗もなかったんだが、既に世の中が変っていたようだ。

 理科の教師(担任)に呼ばれて、しつこく翻意を迫られた。1000円くらいだったから買ってもよかったんだが、わしは、この教師とは全く合わなかったので、意地になっていたんだろう。教師も最後は諦めて、わかった、金は後で返すといって、この件は終わったが、結局、金は返してもらえなかった。おふくろも、請求しなくていいというので、そのままにしておいた。結果だけをみたら、金だけ払って本をもらえないという、最悪の結果に見えるが、あの教師に一泡吹かせてやったぞ、という満足感だけは残ったのかな。まあ、かなり面倒な高校生ではあったようだ。