無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10375日

 60歳で定年退職した頃、以前東京で仕事をしていた時に、同じ職場にいたKさんとNさんに連絡をとったことがあった。30年間年賀状だけの付き合いだったので、定年を期に一度会ってみたいと思ったのが始まりだ。Kさんはわしと同い年で、定年退職したはずだし、Nさんは4歳か5歳年下だったので、まだ現役で元気に働いているものと思っていた。

 Kさんは、お父さんが大手都市銀行の幹部職員で、本人も真面目一筋の石部金吉だったが、愛嬌のある石部金吉で、なかなかおもしろい人だった。Nさんは、お父さんが高校の校長で、本人は地銀からの再就職だった。このNさんも同じく石部金吉だったが、Nさんの場合は優しい、穏やかな石部金吉だった。わしは昼休みに屋上でこのNさんに空手を教えていたこともあったし、一緒に浅草国際劇場にSKDを見に行ったこともあった。真面目で優秀な2人だったから、普通に元気に勤めているものと思っていた。

 ある日曜日の午後にKさんに電話をかけて、29年ぶりに話をした。声の感じは昔と同じで、結婚して奥さんと二人で都内に住んでいた。東京に行くから一度会わないかと言うと、しばらく考えて、それはちょっと無理だと答えた。わしの言い方が悪くて、気を悪くしたのかなと躊躇っていると向こうから、実は、と話し始めた。「実は、10年ほど前から鬱になって仕事に行けなくなってしまった。仕方なく仕事もやめて今は病院に通っている状態なので、悪いけど今は会える状態ではない。」ということだった。

 あの仕事に燃えていたKさんが鬱になるなんてことがあるのかと、これにはびっくりした。話を聞くと、わしが辞めた後、人事異動が頻繁に行われるようになり、その後の職場がどうも合わなかったようだ。病気では仕方がない、お大事にと言って電話を切った。Nさんは電話番号がわからなかったのではがきを出して確認したところ、1週間ほどして、病気のため会うことができないというメールが届いた。驚いたことに、Nさんも鬱のため退職していた。

 独身のNさんは、家から出ることができないので、実の姉さんと甥の世話になっているらしい。そういえば昔わしに、姉が結婚して近くに住んでいるので時々遊びに行くという話をしていた。NさんもKさんと同じように、他の職場に異動してからおかしくなったらしい。メールによると、職場でいろいろ嫌がらせをされたことによって発症したとあったから、ひどい目にあったんだろう。素直で心の優しいNさんなんか、おかしな奴等に目をつけられたらひとたまりも無かったのかもしれない。

 わしは、人の精神を傷つける程いじめて面白がる人種がいることが信じられない。一緒の職場に居たらぶっ飛ばしてやったんだが。NさんもKさんも、おそらく完全に元にもどることはないんだろう。その後も東京に行くときには、Nさんに必ず連絡をして誘ったが、部屋から出てくることはなかった。Kさんはそれでも奥さんがいるので、救われているかもしれないが、独身のNさんはかわいそうでならない。外を出歩けるようになったら、何日いてもいいから、うちに遊びにおいでと誘ってやろうと思っている。