無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10265日

 平昌で行われている冬季オリンピックは、ちょっと盛り上がりに欠けるようだが、高梨のジャンプを見ていて、札幌冬季オリンピックの、日の丸飛行隊を思い出した。調べてみると、昭和47年2月6日(日)だったから、二十歳の時で、おそらく寮の娯楽室で、多くの学生と一緒に見ていたんだろう。マスコミは表彰台を独占した笠谷、今野、青地の三人を日の丸飛行隊と呼んでもてはやしていた。観客も2万5千人というから、平昌とは桁違いだ。南国に住んでいると、ウィンタースポーツとは無縁で、4年に一度、にわかファンになって大騒ぎして、また忘れてしまう。その繰り返しだったな。

 この大会では、ジャネットリンというアメリカのフィギュアスケートの選手が人気だった。オリンピック終了後に、選手村は団地として売りに出されたが、後にその中の一室で、ジャネットリンの宿舎になっていた部屋を購入したら、本人の落書きが見つかって大喜びしたという話が、ニュースになったくらいだから、すごい人気だったんだろう。しかし、わしらにしてみれば、オリンピックが終わってしまえば、おそらく行く機会もないだろう、遠い札幌のローカルニュースにすぎなかった。そんなことよりも、その後発生した浅間山荘事件に驚かされた。

 札幌オリンピックに関しては、ジャンプの事しか覚えてないというのも、その後すぐに発生した、連合赤軍浅間山荘事件が強烈だったからかもしれない。警察が突入した日、1972年2月28日は月曜日だったようだが、昼過ぎから夕方まで娯楽室でテレビを見ていた記憶があるので、或いは授業を抜け出して帰ってきたのかもしれない。視聴率が90%以上だったというから、ほとんどの国民が固唾をのんで見ていたということになるのかな。

 当たり前のことだが、テレビ画像は少し離れたところから撮っているので、臨場感は乏しかったが、今警察官が撃たれたとか、実況中継されるのを聞いて、こんなことをする悪党はぶち殺してしまえと、怒りがこみあげてきたもんだ。鉄球で壁を壊して中へ入って行ったシーンも、なかなか進まないのでいらいらして見ていたが、後に映画で見て、初めてその時の厳しい状況を知ることができた。これも、歴史の瞬間を見ていたということで、話の種にはなるが、テレビ中継をいうのも、表面をなぞるだけでそれほどの価値はないような気もしている。

 この年の3月、パイオニア10号が打ち上げられたニュースを新聞で見たのを覚えている。2年かけて木星に接近し、その後太陽系を脱出するという壮大なものだった。記事を読みながら、これが木星に近づく頃には、自分も一人前の船乗りになっているだろうかと、自分の将来にも夢を馳せていたので、このパイオニア10号は心に残っている。しかし、実際には、その後木星を通過した頃には、嫌になって船乗りを辞めていたのだから、得てして、世の中はうまくいかないものだということかな。