無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10446日

 50代の初めから、もう十年以上腰痛に悩まされている。急な動きをすると激痛が走ることがあるので、自然とゆっくりとした動きになり、歩くのがちょうど良い運動になってしまった。走ろうと思えば走れるんだが、後から腰にくるので、やめている。こんなことで、最近では運動と言えば、歩行5000歩と、ぶら下がり健康器での懸垂、腕立てくらいで、腹筋運動もできないという、情けない状態になってしまった。

 体の状態が昔に返ることはないが、あの自由に体が動いていた時代が懐かしく思われる。若い頃だと少々無理をしても、すぐに回復してしまうが、歳をとると、だんだんとその後遺症がでてくると、野口整体の先生に言われたことがあった。空手の巻藁突きなんかは、自ら打撲傷を作るだけだし、蹴りにしても、関節に無理な加重をかけることだから、体に良い訳がないので、やめとけと注意してくれた。しかし、20歳そこそこの若者に、そんな事言っても理解できないわな。

 腰に関しては、16歳で空手を初めてから、何回も痛めたことがあった。19歳の時、悪い事に腰痛の最中に、師範代に昇段試験を勧められてしまった。せっかくの黒帯のチャンスを逃したくないという思いから、試験日までの間、無理して稽古していたら、完全に動けなくなってしまった。仕方なく、最後は稽古を休んで、少し動けるようになってから、試験に臨むことにした。当日、わしと組み手をしてくれたのは、武内四段だったが、なぜかほとんど攻撃してこないで、わしの突きや蹴りをうまく受けてくれた。加減してくれたことは見え見えだったな。おそらく知っていたんだろう。その後、痛みは消えたが、今から思えば、腰に関しては、このときの無理が致命傷になってしまった。

 わしなんかはアマチュアで、別に厳しい修行をした訳ではないが、それでも、歳をとって腰や股関節に痛みを抱えている。武道、スポーツで一流と言われる人達は、若い頃からその道を一筋に追求して来たんだから、それだけ、体も酷使してきたはずだ。恐らく、それらの多くの人達が、大なり小なり、体に異状を感じているのではないだろうか。

 今、自分がこういう状態になって思う事は、何事も程々にと、いうことだ。どんな強い人、巧みな人でも、歳を取れば体が動かなり、普通の人になってしまう。人間の骨や筋肉、関節は、繰り返し使える時間や回数に、制限があるように思う。若い時に、1つの動きを過重に繰り返していると、40歳や50歳くらいでその制限を越えてしまうことが、あるのかもしれない。

 もう一度やり直せるとしたら、体の一部だけを酷使しない、ということを第一に考えて、別に上手にならなくてもいいから、いろんなスポーツを楽しんでやり、基礎体力をつけることに励むだろうな。別にオリンピックで勝てる程の力はいらない、そんなことよりも、多くの人が、90年とは言わないが、せめて70年は、自由に動く体を維持することができれば、世の中もっと明るくなるような気がする。