無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10456日

 今日から、高校野球夏の大会が始まった。朝の掃除と祝詞奏上を終えて、第一試合途中から見ることができた。この試合は、最終回の逆転もあり、面白かったんだが、終了後に、負けた長崎の波佐見高校が、全員グランドに出て、あいさつさいているのを見て、ちょっと違和感を感じた。女子マネージャーがベンチ入りすることは、わしも知っているので、そのことではない。気になったのはその女子マネージャーが、ずっと帽子を冠らず、手で持っていたということだ。

 そのとき、相手の彦根東がどうだったかは見てないが、試合中、ベンチの奥にいた女子マネージャーは、帽子を冠っていた。帽子といえども、グランドでは正規のユニフォームなんだから、ベンチ要員としてグランドに出るなら、ユニフォームまでとは言わんが、せめて帽子は手で持たずに冠れよと言いたい。もしかして、帽子がダサイとか、髪が乱れるとか、ファッション性を気にしているのなら、始めからベンチに入らず、スタンドで応援すれば良いだけだ。恐らく監督がそれを認めているんだろうから、これも困ったものだ。

 高校野球の人気は高まる一方のようだが、わしは学生の時に、元朝日新聞の部長から、今の高等学校野球大会、当時の中等学校野球大会なるものが、なぜ始まったのか、という話を聞いた事がある。この人は、ご存命なら100歳をゆうに超えているだろう。昭和12年12月、南京攻略のときに、従軍記者として、南京城に一番乗りして、写真や記事を書いた人で、虐殺なんか見た事も、聞いたことも無いと話していた。また、あの東京ロンドン往復3万キロを飛んで、世界記録を打ち立てた、朝日新聞の神風号が、深夜、立川飛行場を飛び立つ時の写真を撮った人でもある。この頃までは、朝日新聞にも、まともな人がいたんだな。

 さて、大正の初め頃は、新聞の発行部数も少なく、しかも夏になると、夏枯れというか、行事が少なくなり、それに伴って広告も減って、新聞社も困っていた。そこで、目をつけたのが、当時、盛んになってきた中学野球だった。その大会を、朝日新聞社が主催し、仕事の少ない夏に持ってくることができれば、広告も発行部数も増えるんじゃないかと、至って経済的な理由で始められたものらしい。神風号も同じだが、新聞社も所詮営利会社で、儲からないことはやらない。「理屈は後から貨車で来る」は相場の格言だが、青少年教育の一環、一球入魂、栄冠は君に輝く............等、理想も後から大きな貨車で来ているようだ。

あと10457日

 台風5号がやって来ると言うので、大雨、洪水、強風、高波警報や注意報が朝から出ていたが、大したことはなかった。昼過ぎには全部解除されたから、果たしてどれほどの雨が降ったのか、そちらのほうが気になる。瀬戸内に面したこの辺りは、昔から雨が少なく、台風が来て、雨を降らしてくれなければ、渇水の夏になるので、台風は、適度に来てもらわなければ困る、いわばお客さんであるともいえる存在だ。

 今でこそ気象衛星で、その位置は常に確認できるが、昔はリアルタイムではなかなか判らなかった。航海中の船舶からの情報や、1000トン足らずの、海上保安庁の定点観測船が、台風の中に突っ込んで観測した情報なんかを元にしていたんだから、それこそ命がけだった。それに比べると、居ながらにしてすべての気象情報を収集できるんだから、今は楽になったもんだ。

 気象予報士などという資格ができて、誰でも業として気象予報ができるようになったが、これだけ気象情報があふれているんだから、少し知識があれば、テレビでやっているくらいのことは、別に説明してもらわなくても、わかる人も多いだろう。わしが中学生の頃、毎日、自転車でその前を通って通学していた、地方気象台の予報課長のSさんという人は、わしの知合いのYさんの友人の父親だった。別にそのSさんに責任があるわけでは無いが、当時は気象予報は当たらないというのが一般的だった。Yさんの話によると、Sさん自身が、気象予報は当たらないと話していたそうだから、やはり当たらなかったんだろう。

 

tysat1103.hatenablog.jp

 わしの伯父も陸軍軍属として、終戦まで千島列島占守島で気象観測をしていた。大きくなって、伯父からこの話を聞いたときに、このSさんの話を思い出して、予報が当たっていたのかどうか聞いてみた。即座に返ってきた返事が「当たらんよ。」だったから、当たらなかったんだろう。伯父にしても、Sさんにしても、当たらなかったのは、知識が無かったからではなく、得られた情報が少なかっただけで、今と同じ情報を与えられたら、今よりもっと正確な予報ができたとわしは思う。全ては科学技術の進歩によって得られた成果であって、決して、それを利用する人間が賢くなったのではないということだろうな。

 熊本は去年の地震前まで、長年大きな災害が無いということで、安全を売り物にしていたらしいが、あんなことになってしまった。どう考えても、近くに阿蘇山があるんだから、安全とはいえないと思うんだが。実はわしの住んでいる辺りでも、長年、なぜか台風は避けて通るし、大きな地震も、10年位前に震度5強があっただけで、南海地震から70年以上経験してない。ひどい渇水はあったが、大雨も洪水も津波も無い。その結果、ここら辺りは災害に会わないという、根拠の無い安心感に包まれているが、熊本の例もあるし、もうちょっと、気持ちを引き締めたほうがいいのかもしれんな。

あと10458日

 毎朝8時頃になると、クマ蝉の鳴き声が聞こえるようになる。うちの猫の額くらいの庭にもよく来るが、その時には必ず椿の木にとまって鳴いている。それは2mくらいの高さの、侘助という種類の椿で、毎年白い奇麗な花を咲かせている。すぐ横に、同じ位の大きさの紅梅白梅の木があるんだが、そこにとまっているのを見たことがない。偶然なのかもしれないが、毎日、梅では鳴かず、椿だけで鳴くのを見ていると、何かありそうな気もする。ネットで調べてみると、京都産業大学付属高校の米澤信道という先生が「土壌の乾湿と樹種嗜好性ー蝉樹種嗜好性の概要ー」という研究結果を公表していた。それによると、やはり蝉によって嗜好性の違いはあり、椿に関しては言及してないが、どうやらクマ蝉には、梅は好まれてないようだ。

 わしらが小さい頃は、クマ蝉が珍しく、鳴いている姿を、直接見る機会もなかった。アブラ蝉、ニイニイ蝉はいくらでもいたが、クマ蝉やミンミン蝉は高い木の上で鳴いているので、透明の羽を持った蝉は、子供等にとっては憧れの的だった。ところが今では、庭に面した掃き出しに座って、1mほど先で鳴いているクマ蝉を、心行くまで観察する事ができるようになった。ジーという声で10〜20秒ほど鳴いた後、体全体を縦に大きく振りながら、シャンシャンシャンと大きな声で鳴き始める。体内のどこかで共鳴しているんだろうが、どうやれば、あの小さな体で、聞く人の鼓膜をビンビン振るわせるような、大きな声を出すことができるのか、不思議だ。

 一鳴きか二鳴きすると、何の未練も無く、さっと飛んで行ってしまう。蝉には蝉の習性があり、これもそうなんだろうが、わしから見ると、もう行ってしまうのかと、この潔さが羨ましいと感じることもある。 単なる暇人の感情移入だと笑われるだろうが、このクマ蝉は、何年も土の中で成長し、出て来て2週間ほど生きて死んで行く、その一生の残された最後の時間、今この瞬間を精一杯生きていると思うと、鳴き声をもっと聞きたい、もっと鳴いていってくれよと思う事もある。

あと10459日 修羅場となった住宅抽選会場

 大学生の時、夕食付き、週2回風呂付きで¥18000/月の学生寮に住んでいた。わしは16歳から、団体生活をしてきたので、寮生活はもうよかったんだが、安さに惹かれてしまった。或る晩、寮のずっと先輩で、星和住宅社員のBさんがやって来た。わしより10歳以上年上なので、直接は知らないが、わしが寮長をやっていたので、舎監を通して紹介された。

 このBさんは、順番取りの学生アルバイトを5〜6人探していた。Bさんの会社の後輩が、同じ星和住宅が販売する百合丘の分譲地の一画を、売り出す前に購入する予定だったが、手違いがあってその一画も含めて、先に公募を発表してしまった。公募は先着順なので、その場所が欲しいならとにかく一番に並ばなくてはならない。その順番取りを、ここの学生にお願いしたいということだった。

 バイト料もよかったし、わしも含めて人はすぐに集まった。当時、この辺りはまだ緑豊かな丘陵地帯で食事をする所もなかった。わし等は公募期間一週間を、昼の部夜の部と分けて、延べ人数14人でトップを維持する作戦だ。わしがトップバッターとなって指定された時間にいくと、Bさんが待っていて特設の小屋に案内してくれた。

 そこで、ひとまず先頭の位置に寝袋を敷いて、場所を確保することに成功した。わしの後ろは50歳前後のよくしゃべる商売人だった。この人と一日馬鹿話をして、夜の部と交代した。これでうまくいくだろうとBさんも安心していたが、これが最終日になってとんでもない修羅場に変わろうとは、誰も想像できなかった。

 最終日に星和住宅から人が来て、説明会をすることになった。近所に食堂も無い様な、分譲地に建てられた粗末なプレハブの小屋だ。一週間寝泊まりしていると、だんだんと気持ちも荒んでくる。みんな夫婦で交代とか家族で交代で、風呂もはいらずに24時間詰めているんだから、負担も大きかったんだろう。初めはそれほど思わなかったんだろうが、わしらみたいな学生が、交代で詰めていることにたいする不満というか、怒りみたいなものが、だんだんと沸き上がってきていたようだ。とうとうそれが爆発してしまった。

 後ろの方で、わしの方を指差して「この並び方がおかしい、アルバイトが並んで、そんなことで権利が発生するのか。」と声があがると、すぐ後ろに並んでいた商売人が「そうよ、お前は何の資格があってそこに並んどるんじゃい。お前が買うのか?」最初の日の上品さもかなぐり捨て、くってかかってきた。会社の人が問題ないと説明しても、燃え上がった怒りはなかなか収まらない。まるでわし1人を標的にして、鬱憤ばらしをしているような状況になった。

 ここで黙って聞いていれば収まったんだろうが、わしも若かったし、血の気も多かったので、言わずもがなの一言を言ってしまった。「本人が並べとは書いてないんだから、あなたらも学生アルバイトを雇えばいいんじゃないですか。」とたんに、あちこちから怒声があがり、騒乱状態になった。こういう争いには慣れているんだろう、来ていた星和住宅の社員がなんとか納めたが、分譲地一区画2000万円以上していたから、ここに来ていた人達は、或る意味人生を賭けているといっても過言ではない。学生アルバイト如きの若造に、そんなこと言われたら、そりゃ怒るだろう。下手をしたら、刃傷沙汰になったかもしれない。

 これだけの物を買おうとして来ている人達と、二十歳過ぎの若造では背負っているものが違いすぎる。家族のために、莫大な借金をして家を買うということの持つ意味、あの頃は、そういう事すらわからなかった。あれから40年以上たって、当時並んでいた人達の年齢も、とっくに越えてしまった。わしも、少しは利口になったんだろうか。

あと10460日

 午前中、日立のサービスの人がエアコン修理に来た。この猛暑の中、エアコンの故障で冷えないのは、生死の問題にもなるので、急ぎの仕事が多くて結構大変らしい。エディオンの担当者から状況は聞いていたようで、すぐに、外側のケースをはずして点検を始めた。

 うちのエアコンは密閉配管なので、ドレンをガス配管とは別の経路で流すようになっているんだが、その時の工事に問題があったようだ。使っているドレン用パイプが純正品ではなく、エアコンに差し込んであるだけで、ネジで固定できてない。そのため、ゆるゆるで、すでに半分抜けた状態だった。おそらく2年の使用で、だんだん緩んで来たんだろう。そこで、差し込み口にシール剤を塗ってパイプを密着させて、その上からパテを塗って完了した。これで大丈夫と思うが、これでもまだ漏れる場合は、もっと大掛かりになるので、ひとまずこれで様子を見てほしいということだった。

 書けば、たったこれだけのことだが、わしの意識の中では、久し振りに何かを成し遂げた、充実感で満たされていた。ほんと滑稽だが、こんなちょっとしたことが、人が生きるための原動力になっているんではなかろうか。誰かの一言、何処かで聞いたワンフレーズ、映像の1シーン、それによって人生が変わることもあるように、どんな小さなことでも、ひとたびそれと波長が合えば、増幅され、心が満たされ、幸せになることができる。

 ずっと家にいても、この感覚は時々やってくる。外面的な変化が無い分、内面的な変化に敏感になるのかどうか、外に出て仕事をしている時より、多いのかもしれない。自分の内面を観察しているなどと言っても、周りから見たら、何もしてないのと一緒で、笑われて終わりだろうが、こんなことやって居れるのも、先は見えているし、何とか飯だけは食っていける、年金生活者の特権とも言えるだろう。有り難いことだ。

 わしも若い頃はわからなかったが、何事に対しても、つまらないとか、馬鹿馬鹿しいとか思っていたら、幾ら立派な仕事をして、お金を稼いでも、ほんとうに辛いだけで、人生終わってしまう。エアコンの修理をしてもらった、などということは、つまらない、些細なことかもしれないが、そんなことでも、これだけの充実感を感じることができるのも人生、これを馬鹿馬鹿しいと笑うのも人生、笑いたい者には笑わせておこう。

あと10461日

 本当に毎日いろいろなことがあるもんだが、昨晩は、女房の母親が「オレオレ詐欺」にひっかかりそうになった。話を聞くと、将に典型的なオレオレ詐 欺のパターンで、何でそんなものに騙されるのか不思議だ。それでも、その後で、女房にに電話をかけてきたということは、少しはおかしいと思ったんだろう。 わしのおふくろなんかは、完全に騙されて、通帳を持って銀行に行こうとしていたから、それに比べたら、まだましな方だと言えるのかな。

 概略はこうだ。「俺だけど、俺、”てつや”だけど。」という電話からはじまった。突然の電話で、”てつや”と言う名前に覚えはなかったが、甥や姪も多いの で、すぐに全員の名前が頭に浮かんで来るわけでもない。そのいわば記憶の谷間に、その”てつや”という名前がすーっと入ってきたんだろう。そして、義妹の Gさんが病気で寝ていたのを、以前から気にしていたので、「そういえば、あそこの子供に”てつや”というのがいたかもしれない。」と、瞬間的に思い込ん だ。そして「Gさんとこの、てつやかな?」と言ってしまった。

 母親も90が近いので、その後の話は要領を得ないんだが、なんでも、高校時 代の友達と昼頃にそちらの家に行くから、家にいてほしいということらしい。ただ、お金の話はしなかったということだ。これが本当なら、なんとも中途半端な オレオレ詐欺だが、ひょっとすると、家に来てからそれを切り出す、新手の詐欺か、或は居直り強盗かなどと、女房に言われて怖くなったんだろう、わしに用心 棒代わりに、家に来てくれと言い出した。まあ、行ってもたいした用心棒にはならんけどな。

 さて、わしは、今朝の10時30分から家に行っ て、どんな奴が現れるか、わくわくしながら前の道路を監視していたが、11時になり、12時になり、2時になっても一向に誰もやって来ない。しかし、よくよく考えてみたら、電話番号を電話帳にも載せてないし、相手にも話してないんだから、昼頃来るといっても、どうやってこの家まで来るんだろう、ということ に気が付いた。

 せっかくあそこまで、”てつや”の存在を信じ込ませたのに、一体何がしたかったのか、よくわからない。ひょっとすると、単なる間違い電話で、偶然話がかみ合っただけかもしれない。今回は、わしが3時間程退屈しただけで、他に被害はなかったが、あの電話で、困っているのでお金 を貸してほしい、という話になっていたら、どうなっていたことか。しかし、女房に言わせると、「あの人はお金にはしっかりしているから、やすやすと、お金を渡すような事は絶対しない、それどころか、あそこのGさんには300万貸して、返して貰ってないから、逆に300万返してくれと言ったと思う。」ということなので、この点に関しては、心配する必要はなさそうだ。

あと10462日

 毎日を平穏に過ごしたいと思っていても、何かしら、やらなくてはならないことが出て来る。エアコンから水が漏って、床に水たまりができているのに、3日前から気が付いたんだが、濡れたら拭けばいいだろうと鷹揚に構えていた。どうせ排水溝に、ゴミでも溜まっているんだろう、よくあることだと、高をくくっていたが、量も増えるし、どうもそれだけではないような気がして、今日、エディオンに修理を依頼した。

 昔、外国航路で機関士をしていたときは、冷凍機やエアコンは担当機器だった。今ではほとんど忘れてしまったが、当時は少しは勉強もしたので、限りなく素人に近いとはいえ、全くの素人ではない。船に積んであるような、大型のエアコンなら、中身が見えるので、どこが壊れているかすぐわかったが、特に最近の家庭用エアコンは、全体がブラックボックスのようで、覗いて見ようとも思わない。

 うちにあるエアコンは、日立しろくまくんという、お掃除機能つきの優れものだが、今日点検に来たエディオンの担当者が、汚れたフィルターを見てびっくりしていた。かなりひどいので、水洗いだけでは無理だから、中性洗剤で洗ったほうがいいらしい。しかし、このエアコンはお掃除機能付きではないのか、と思っていたら、それを察知したのかどうか、担当者は、お掃除機能は所詮限定的なもので、年2回は人力でやらなくてはだめだと説明してくれた。

 しかも、しろくまくんの、お掃除機能がきれいにするのは、フィルターの片面だけで、それも完璧ではない、と言われて、フィルター面をよく見てみると、確かに片面は、まあまあ、きれいだが、反対側は、かなり汚れている。なるほどそういうことかと、その説明に納得してしまった。結局、どこかに細かなひび割れがあって、そこから水が漏れているようだが、部品交換も必要なので、今月4日(金)午前中にメーカーが修理に来るということになった。

 これでエディオンの担当者は帰ったんだが、先ほどのフィルターの話にちょっとひっかかった。だいたい、フィルターの片面がきれいというのは、お掃除機能云々という前に、当たり前のことだろう。ゴミがたまって汚れるのは常に片面で、両面が同じように汚れるなんてことはあり得ない。お掃除機能付きというなら、その汚れる側を掃除しなければ意味がないと思うが、どうなんだろう。或はそのようになっているのか。いずれにしても、機能てんこ盛りの最近の家電は、よくわからんな。