無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10307日

 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 

 今年は二男と3人で過ごす静かな元旦だった。のんびりと朝10時過ぎまで寝ていたので、うっかりして国旗掲揚を忘れたしまった。午後4時くらいになって、忘れていることに気が付いたが後の祭りだった。昔ならどの家でも掲揚していたから、忘れることはなかっただろうが、今では近所で揚げている家は一軒もないので、自分が忘れるとそれで終わりだ。元旦というおめでたい日に、何で誰も揚げないんだろう。不思議だ。

 最近では新年の祝詞は大晦日の0時を回った頃に済ませてあるので、朝はゆっくりできるようになった。ゆっくりすると言っても、新聞も取ってないので、朝起きても別にすることもないというのが現実だ。3人でお雑煮を食べてぼうっとしていると、昼前に年賀状が届いた。還暦を過ぎてからは、惰性で書いていたのをやめたので、その数も随分減った。年賀状は30歳の正月から書き始めて今年が36年目になるが、なぜ書き始めたのかはっきり覚えていない。

 丁度今年と同じ戌年で、筆で犬の絵を描いて送ったが、犬か狸かわからんと、さんざん言われたのを覚えている。そう言えば、あの一年は趣味で演劇に関係していたので、端役で2回公演にも出たことがあったが、今ではわしの所謂黒歴史の一コマとなっている。一緒に新宿のディスコに行って踊ったり、今でもあるのかどうか知らないが、歌舞伎町の番番という焼き鳥屋で、皆で飲んだりして楽しかった。しかし、つまらないトラブルもあったり、あまり思い出したくないというのが正直なところかもしれない。

 それでも解散後10年くらいは、何人かと年賀状のやりとりもしていたが、あの頃の友達で、今まで付き合いが続いている人は誰もいない。時々、みんなどうしているかなと思い出すこともあるが、名前も顔もほとんど忘れてしまった。年賀状からこんな話になってしまったが、若いときの記憶というものは、思い出して楽しいというよりも、こうすればよかった、ああすればよかった、あんなことしなければよかった、というような後悔のほうが多いような気がしている。

 心配していた二男も、吹っ切れた様子で、やる気をだして元気そうだったし、長女一家も長男一家も楽しくやっているのを見て安心した。これだけで本当に有り難いことだ。天気もよくていい正月だったな。

あと10313日

 今年も残すところあと2日になってしまった。この一年もいろいろあったが、有名大学をでて、優秀と言われる学生が蝟集したはずの東電、東芝、シャープ、神戸製鋼、日産、ここらの体たらくをみていると、日本の将来もどうなることやらと、暗澹とした気持ちになる。

 暗澹たる思いと言えば、前回のブログに書いた、雇用保険待期期間の3か月分の年金が、後から返って来ないという話だが、新しい展開があり、暗澹たる思いは吹っ飛んでしまった。2日前に同じTさんから電話があった。Tさんから電話だというので、わしはてっきり文書による回答ができないとか、回答に時間がかかるとかいう連絡だと思って受話器をとった。

 Tさんは名前を名乗った後に「申し訳ございません。手続きが遅れておりまして、1月23日に振り込みます。」と言った。Tさんの言葉を聞いた時、わしの頭の中は混乱してしまった。あれほどきっぱりと否定していたのに、それに関する詫びの一つもなく、唐突に振り込みますと言われても話がなかなかかみ合わない。

 例えば、3か月分の年金が返されることが確定した後に、その時期を相談をしていたのなら、Tさんの「申し訳ございません。手続きが遅れておりまして、1月23日に振り込みます。」という回答は辻褄があう。しかし、Tさんは返ってくること自体否定したのだから、1月23日に振り込みますと言う前に、「申し訳ありません。自分の判断が間違っていて、○○さんの場合は、3か月分の年金が返ってきます。その時期については云々。」としなければ辻褄が合わないのではないだろうか。

 返ってくるのは、待期期間3か月分の年金だということを確認して電話を切ったが、年金に関する仕事をしていて、しかも、受給者からの相談を受けているような立場の人が、この体たらくでは、日本の年金行政は大丈夫かと不安になった。過去にも、いろいろトラブルのあった年金だから、自分の身は自分で守るという気持ちで、常にチェックしていないと、どんな不利益を被るかわからない。

 日本は、専門家がやっているんだから大丈夫、といえる社会だったような気がするが、不祥事の続く現状をみると、日本人全体のタガが緩んできているような気がしてならない。杞憂であればいいんだが。

 今年のブログは今日で終わりになります。皆さんよいお年をお迎えください。

 

haruさん、ブログ楽しみに待ってます。

 

あと10320日

 去年の6月にハローワークで、64歳年金受給者が雇用保険を申請すると、自己都合退職による3か月の待期期間は年金が止まるが、雇用保険給付の期間が終了すると、その3か月分の年金が返ってくると言われていた。そんなうまい話があるのかと飛びついたんだが、案の定、それほど単純なことではなかったようだ。細かな規則を職員が知らなかったのか、或いはわしが誤解していたのかしらないが、結果的には損をしてしまった。世の中、旨い話は無いということだな。

 わしはハローワークで教えられた通りの方法で手続きをして、待期期間が終わる11月から雇用保険を給付された。その給付期間が今年の3月で切れたので、3か月分の年金が返されるのを楽しみにしていた。しかし夏になり、秋になっても何の連絡もないので、電話をかけて聞いてみた。その時の経緯については、以前このブログでも書いたことがある。電話に出た女性職員は、雇用保険受給資格者証の第3面をコピーして送ってもらえれば手続きが早くなると教えてくれた。この時点で、当然返してもらえると確信してしまった。

 しかしそれから2か月たっても何の連絡もないので、3日前に、今の状況を教えてほしいと、年金相談の部門に手紙を送った。昨夜7時頃に、珍しく家の電話が鳴ったので、なにかと思ってでてみると、返事の電話だった。Tさんという、声の感じが50代くらいの人で、こんな仕事をしているんだから、年金については詳しいんだろう、わしの送った手紙の文面を読み上げた後、「○○さんの場合は、4か月分の年金が止まることによって事後清算は終わっています。したがってかえって来ることはありません。」と言った。

 ハローワークで、返ってくると聞いているし、以前におたくの年金係が雇用保険受給資格者証の第3面のコピーを送れというので送ったんだが、それはどういうことなのかと聞くと、それには答えずに、事後清算が終わっているということを繰り返した挙句、わかりませんかいうので、これにはさすがにちょっとカチンと来た。わからないから聞いている年金受給者に、事後清算とかわけのわからん言葉を使ってけむに巻くつもりなんだろう。法律家が「きょうばい」を「けいばい」と読んで、専門家ぶっているのと同じ心境なんだろうな。

 おそらくこのTさんと、電話でいくら話しても堂々巡りになったことだろう。回答は1~2週間のうちに書面で送ってもらうことにして、素人に話すときには、かみ砕いて話をしろよと思いながら、電話を切った。年金の相談員が、相談者に木で鼻をくくったような回答しかできないんでは、一体何のための相談員かわからない。さあ、どんな回答を送ってくるか楽しみだ。

 Tさんは専門家の自分が回答したことで、素人は納得するだろうと誤解しているようだが、わしが知りたいのは、専門家としてのTさんの判断ではない。その判断に至った根拠の法令なり、規則なりを示してもらって、自分で納得したいということだ。電話を切ってから、ネットで事後清算という言葉の定義から始まって、いろいろ調べてみると、確かにTさんの言うとおりであることはわかった。しかしTさんが、あの電話の説明で相手が納得すると思ったのだとしたら、それは傲慢というものだろう。素人にわかる言葉で、理路整然と説明できないなら、相談員としては失格で、他の場所へ異動してもらったほうが、本人のためにも、相談者のためにもなるのではないかと思った。

あと10327日

 おふくろは貴金属類は早めに形見分けしていたのと、亡くなったのち、女房が良いものから他の親族にあげてしまったので、大したものは残って無かった。そんな中で、盗まれたんじゃないかと、おふくろが死ぬまで気にしていた、金のネックレスだけは杳として行方不明のままだった。

 それが出てきたのは、去年の暮、おふくろの着物を処分するために、箱に詰めている時だった。着物の間に挟まれた状態で、実に13年ぶりに姿をあらわした時、一目見ただけで女房はアッと声を上げたから、あのネックレスだとすぐに気が付いたんだろう。女房が一枚一枚丁寧に調べながら箱詰めしていたからよかったが、わし一人で作業をしていたら、気が付かずに捨ててしまったかもしれない。

 そのネックレスは、もし出てきたら女房にあげると言われていたものなんだが、型も古くて女房も使い道がないので、いっそのこと売りに行こうかという話になった。それならついでに、昔からたまっている、金杯とか銀杯とか、ウィスキー、ブランデー、わしがメキシコのアカプルコで時計と交換した指輪類等ガラクタも全部集めて持って行くことにした。

 45年も前のことだが、わしがアカプルコの海岸通りを歩いていると、珍しく英語を話すメキシコ人が近寄ってきた。所謂故買屋というやつなんだろう。立派なダイアモンドの指輪を見せて、由緒ある家から盗まれたもので、安くしとくから買わないかという話だ。そんなに金は持ってないというと、わしの腕時計をみて、それと交換しようと言い出した。

 時計といっても、シチズンの安物の時計だし、しかもバンドを針金で修理していたので、今度日本に帰ったら買いかえようと思っていたような代物だった。どうせ偽物だろうとは思ったが、こんな時計で良ければと、宝くじでも買うようなつもりで交換してやった。それから45年、とうとうあの指輪の真贋がはっきりする時がきたかと、わしにとっては金のネックレスの値段よりも、こちらのほうが楽しみだった。

 いよいよ鑑定が始まり、酒類は一瓶500円、コーチの帽子500円、クロコダイルのハンドバッグ3000円、と進んでいって、とうとう金のネックレスの順番が来た。店長はこれを持ったとたんに、「おっ、これは。」と声を上げ、目方を測って○万円。女房は大喜びだが、わしはそんなことよりも指輪が気になっていた。

 そして指輪の順番が来た。すると、店長はほとんど見ることもなく元の箱に戻してしまった。う~ん、そういうことなんだろうとは思ったが、恥を忍んで一応聞いてみた。店長の返事は、「はめ込まれている3個のダイヤを見るまでもなく、まず装飾が良くないですね。いいものはこんな装飾はしません。イミテーションですね。よければこちらで処分しときますが、お持ち帰りしていただいても結構ですよ。」だった。

 これは、45年間の密かな期待が見事に粉砕された瞬間でもあった。指輪も含めて、売れなかったものの処分をお願いして、ホクホク顔の女房と一緒に店を後にした。

 

あと10332日

 毎日毎日家にいるので、何も変化が無いように思われがちだが、そうでもない。そのほとんどは本当に些細な、つまらないことではあるが、まるで誰かに試されているような気がすることもある。先日こんなことがあった。

 12/7は近くの医院でインフルエンザの予防接種を受けることになっていた。午後4時半から接種だったので、25分には行って受付を済ませた。ここは一昨年に開業したばかりで、今風というのか、受付周辺もこぎれいで、医院というよりもどこかのオフィスにでも迷い込んだかのようだ。

 そこで黒いお揃いのワンピースを着た女性が2人、まるで社長秘書のような感じで受付業務を行っている。入った瞬間に、ここはちょっとわしには合わないなと、嫌な予感がした。○○ですがと名乗って来意を告げると、パソコン画面で予約を確認して申告書を渡された。わしは確認のため「65歳以上ですが、この用紙で間違いありませんか?」と尋ねた。というのも、65歳以上になると市から2000円の補助がでるからだ。「えっ、65歳以上ですか?」その女性は一瞬あわてたような表情を見せたが、すぐに「それで間違いありません。」と不愛想に答えた。

 大きなお世話かもしれないが、わしなんかから見たら、黒のワンピースというのも趣味が悪いと思うし、受け答えにしても、不愛想にもほどがあると思うんだが、これが院長の趣味なら仕方がない。黙って指定された部屋に向かった。中に入ると既に20人ほどの先客が待っていた。1人3000円だから、これだけでざっと6万円かと計算をしながら、わしは空いていた椅子に座って名前が呼ばれるのを待つことにした。

 5分経ち、10分経ち少しずつ人は減って来た。30分経った頃には、初めにいた20人は全部終わったはずだが、まだ呼ばれない。確実に後から来た人が呼ばれるようになった。おかしいなとは思ったが、ちゃんと受付をして、名前を確認後、申告書も出しているんだから、何かの都合で順番が入れ替わったんだろうと軽く考えていた。そして1時間たったころ、受付でさっきの女性がわしの名前を呼んでいるのに気が付いた。

 返事をすると、さも驚いた様子だった。「えっ、まだですか?」というので、ここで初めてわしは受付の怠慢に気が付いた。接種は既に終わったはずなのに、わしが金を払わずに帰ったんじゃないのかと心配になったんだろう。ちょうどその時、次の順番の人を看護師が呼びに来たので「一時間待っているんだが、いつまで待てばいいの?」と聞いてみた。するとあわてて医者に確認してすぐに呼ばれた。

 診察室に入ると、医者が受付の入力ミスを謝罪したので、やはり受付の怠慢で間違いなかったようだ。接種を終えて受付に用紙を届けると、そのミスをした女性がそれを受け取った。わしは何か一言謝罪の言葉があるだろうと思って待っていると、出てきた言葉は「すぐに計算できませんので、椅子に掛けてお待ちください。」だった。最近のコンビニやファミレスでのマニュアル通りの応対を連想させた。最後に会計を済ませて出るときに、呼び止められたので、少しは反省したのかなと振り返ると、「よろしければ、当院のパンフレットをお持ちください。」と宣うた。最後まで、そこの接客マニュアル通りだったのかもしれないが、そのマニュアルには、人に迷惑をかけた時はきちんと謝りなさいとは書かれてなかったようだ。

 「もう来ることは無いから、パンフレットなんかいらないよ。」という心の声を聴きながら外へ出ると、すでに夜になっていた。

あと10337日

 先週の土曜日に、二男夫婦が離婚に関する話をするために帰って来た。去年の夏にも一度もめ事があったので、危うい感じはしていたが、去年12月に子供が生まれ、今年6月に、家族との時間が持ちたいからということで、転職したばかりだったから、今の時期にその話がでてくるのには正直驚いた。

 離婚したいのは嫁のほうで、一方的に三下り半を突き付けてきたということだ。嫁は自分は悪くない、相手が悪いというような身勝手なことを延々と話していた。聞いているうちに、去年の夏にも同じようなことを話していたのを思い出した。あの時は、これはだめだと思って、幸い子供もいないんだから、今すぐ別れた方がいいと、離婚を勧めたんだが、残念ながらそうはならなかった。

 慎重を優柔不断といい、優しさを弱さといい、決断できない、頼りにならないと、目の前で言われ続けても、黙って聞いている二男が不憫でならなかった。4年務めた一部上場企業を辞めて、転勤のない山の中の小さな会社に転職したのも、家族と一緒に過ごせる時間を持ちたいと思ったからだった。当初は四国の会社に決まっていたのに、それを断って、給料も安い今の会社にしたのは、少しでも実家に近いほうが、嫁も楽だろうという心遣いからだった。わしは将来を賭けて、家族のために大きな決断をした二男は偉いと思っている。

 知り合いも誰もいない、四国からも遠く離れた全く知らない土地に来て、さあ家族でこれから頑張ろうというときに、突然嫁も子供もいなくなってしまう。まさに、2階に上がって梯子を外されたようなものだった。泣きながら女房に電話をしてきた二男の無念の気持ちは察するに余りある。しかしわしも女房も、二男の良さを理解できないのなら、別れたほうがいいと思っている。ただ心配なのは子供のことだけだ。

 長男も心配してやって来たので、久しぶりに家族4人だけで遅くまで語り合った。話しているうちに二男もだいぶ吹っ切れたようだった。幸い時間はあるので、写真とかフットサルとか、また始めてみようかと少し前向きに考えるようになった。正月に2人でスターウォーズを見に行く約束をしているのを聞いていると、子供らが小さかった昔に返ったよう気分になった。

 今回、もし嫁が子供をいらないといった時は、こちらへ連れて帰ってわしら夫婦でみるということまで覚悟していたが、そうはならなかった。女一人でほんとうに子供を育てられるのか甚だ疑問だが、できると言う以上任せるほかは無い。これから先、この子がどんな人生を歩むのか、心配の種は尽きないが、幸せになれとよ、遠くから見守ることしかできない。優しい穏やかな夫と共に、家族3人で暮らすということに何の不満があるのか、それは子供のために、我慢できないほどのものなのだろうか。子供を道連れにして、過酷な人生を選択するその気持ちが、全く理解できない。

あと10342日

 4年くらい前に、時々不整脈が出るようになり、循環器内科の医院にかかったことがあった。脈が飛ぶというのは、本人にとっては気持ちがいいものではない。知り合いの医療関係者に聞いても、単なる期外収縮だろうから、問題ないと思うよと言われてはいたが、こと心臓に関しては止まれば死ぬので、そう安閑とはしていられない。

 そこで、近所に2軒ある循環器専門の医院のうち、最初にAクリニックに行ったところ、うちは予約制で一見さんお断りと言われてしまった。看板には確かに予約制とは書いてあるが、ただの町医者でそこまで徹底するのも珍しい。しかたがないので、その足で当時開院したばかりだったBクリニックに向かった。

 ここはガラガラで、すぐに診てもらえた。近頃はどこの病院に行っても電子カルテになっていて、慣れてない医者は時間がかかってしようがない。このBクリニックもそうだった。とにかくキーボードを打つのが遅いので、パソコンのモニターを見ながら患者と話しをしている。最初はモニタに向かって独り言を言っているのかと思った。ブラインドタッチができないんなら、入力専門の秘書を雇って、医者は診療に専念しろよと思ったな。

 ここでホルター心電図をつけて24時間様子を見ることになった。電極と本体を胸のあたりに張り付けて、そのままで24時間記録するんだが、いくら小さいとはいえ、胸にぶら下げとくのはやっぱり邪魔になる。寝るときも、寝返りではずれないかとか、いろいろ気にかかってゆっくり休めなかった。翌日取り外し、その後3日ほどして結果を聞きに、大雨の中、Bクリニックを尋ねた。

 結果はやっぱり期外収縮だった。脈がこれくらい飛ぶのはよくあることで、全然問題ない。もっと飛ぶようことがあったら、また来るようにと言われて、ほっとして医院を後にした。それでもドクっと空打ちするように脈が飛ぶのは、気持ちのいいものではない。あれから3年たっても、増えはしないが減ることもなく、脈は飛んでいる。

 昨日、時々送られてくるメルマガを読んでいて、期外収縮を抑える方法について書いてある面白い記事を見つけた。胸椎4番を整えると心臓に良いということは、いろんな本にも書かれているし、それらの種本になっている、松本道別著・霊学講座にも出ているので、以前から知ってはいたが、自分では背中に手が届かないからどうすることもできなかった。しかし、そのメルマガでは胸椎4番の対応点を紹介していた。つまり胸椎4番を整える代わりに、中指を掌の方に折り曲げて、対応点である中指基節骨の上を、親指で不整脈が止まるまで押しておくだけでいいらしい。早速試してみたが........何ともいえんな。