無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10566日

 なぜか、うちには昔から鍔の無い白鞘の脇差しが1本あった。子供の頃は手の届かない、箪笥の引き出しにしまわれていたが、子供心に見てはいけないもののように感じていた。大掃除の時なんかにせがんで見せてもらったことがあったが、鞘から抜いて片手で持つと、ずっしりと重みを感じ、白く光る刀身は奇麗だが、なんか恐ろしかったのを覚えている。大きくなってから親父に聞いたら、そんなにたいした物ではなく、もともと普通の刀を脇差しに作り直したもので、当時は作者の名もあったが、鍛冶やさんに毛が生えたくらいの人らしい。去年親父の遺品整理をしていたら、その刀が出て来たが、研いでないから光も鈍く、先の方は錆びていた。包んでいた紙も無くなっていたので、もう作者の名前もわからなかった。

 わしの住んでいる町にも、昭和30年代には人間国宝の刀鍛冶が住んでいて、近くを通ると、刀を打つ音が聞こえることがあった。おふくろから聞いたんだが、ケネディが大統領になった頃、1人のアメリカ人がやってきて、弟子入りしたことがあった。なんでも、ケネディ大統領に贈る刀を作りたかったらしい。その後どうなったかは知らないが、まともな刀ができて、それを本当に贈呈したなら、ローカルニュースでは取り上げられるはずだから、聞いた事が無いという事は、続かなかったんだろう。その刀鍛冶の家も子供は銀行員になっていたから、あの世界はいろいろ厳しいようだな。

 兄貴が小学生の時、おふくろの里に遊びに行って、ニューギニアで戦死した伯父の形見の軍刀の「はばき」を持って帰ったことがあった。黙って持って帰ったわけではなく、従兄弟があげるというので、それを貰って帰っただけなんだが、それをおふくろに見つかって、えらく怒られた挙句に、返しに行くといって取り上げられてしまった。兄貴は不満だったようだが、おふくろにしてみたら、実の兄の形見を、この地方の方言でいうところの「のふぞ」に扱われたと感じたんだろうな。

 実は、わしは子供の1人は、刀鍛冶のような伝統工芸の道を極める仕事をしてもらいたいと、思ったこともあった。しかし、あの人間国宝でも跡継ぎがいなかったくらいだから、収入の面でも厳しかったんだろう。霞を食って行きて行く訳にもいかんので、あえて勧めることはしなかった。