大雨特別警報がでていた北九州地方で、多くの河川が氾濫して大変な事になっているようだ。これから復旧が始まるだろうが、時間がかかるだろうなあと考えながら、スマホをONにすると、画面上に若築建設のアラートが出ていた。何事かと思って証券会社をチェックしてみると、九州北部の記録的豪雨からの復旧思惑から、北九州地盤の復旧関連株が買われているらしい。この話を女房にすると、不謹慎だと言ったが、投資家は情け容赦しないからな。株は北朝鮮関連の急落が怖いので、ほとんど処分したんだが、昔は若松築港といっていた若築建設には、海軍帰りの伯父が勤めていたので、昔から馴染みがあったのと、100円代で下値不安がないので残しておいた。
これはあまり知られていないが、大東亜戦争中も東京株式市場は開かれていて、取引は行われていた。当時の軍人の中にも、株の動静から戦争の行く末を見ていた人もいたようで、誰が書いた本だったか忘れたが、昭和20年になり、敗色濃厚になった株式市場で、平和関連の株の出来高が増えて来たのを見て、戦争に負けても日本は大丈夫だと確信した、というようなことが書かれていた。所詮人間の欲で動く世界ではあるが、使い方によっては、先を見通す眼にもなるということだろう。
しかし、欲で動く世界は別に株の世界だけではない。それどころか、もしも無欲の世界があるとすれば、そこには何の発展も無いだろう。人間を突き動かす、最大のものは欲であることは間違いないと思う。......とは思うが、その欲をコントロールする智慧が伴わなければ、動物と同じになってしまう。コントロールする智慧とは、人それぞれあるだろうが、わしの場合、一言で言えば、『お天道様に恥ずかしくない生き方をしているか』と自問し続けることだと思っている。
樂をしたい、お金がほしい、自由になりたい、欲して当たり前のことだ。しかし、実現するためには、様々な過程を踏まなくてはならない。そしてその過程において、コントロールする智慧が働く事ことによって、欲望を断念しなくてはならない場合もあるし、実行したがために、一生後悔し続けることもあるかもしれない。何があっても、自分で作り出して、自分で背負う人生であるとはいえ、すべてOKと言えるためには、それらを計る1つの尺度が欲しいところだ。わしにとって、その尺度こそが、お天道様に恥ずかしくない生き方ができているかどうか、ということになるんだろう。