無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10180日

 2月に離婚した二男が、親として当然のことだとは思うが、子供には会いたいと言っている。成長には関わりたいし、忘れてほしくないという気持ちはわかるが、少し間をおいたほうが良いのではないかと、わしは思っている。ここで思い出すのが親父のことだ。昭和23年に、親父は子供二人を残して養子先を離縁された。親父の葬儀後、相続のため調べた戸籍謄本によると、昭和18年に養子縁組して二人の男子をもうけている。

 わしはその二人の子供がどうなったのか、親父が死ぬまで全く知らなかったんだが、おふくろが亡くなった2005年前後に、一度だけ親父に、その子供らをどう思っているのか聞いたことがある。その時、親父は少し考えてから「子供がかわいいという感情は、血がつながっているから当然湧いてくるというものではない。それに加えて、いろんなことを経験しながら、一緒に過ごした年月によって形作られた家族のつながりが必要なんだ。」というような意味のことを話した。

 しかし、本当のところ、どうだったのか、今でも時々考えることがある。案外、ずっとおふくろに遠慮していただけだったのかもしれない。親父が最後の正月を家過ごしたのち施設に帰る時、どうしても現金を持っておきたいというので、30万円ほど渡したことがあった。施設にいる間は現金なんか必要ないし、盗まれてもいけないから、持たない方がいいと言っても、どうしても持って行くと言って聞かなかった。それから2週間後、親父が亡くなったあと、部屋にはその30万円は無かった。

 施設の人に聞くと、その頃、息子だという人がたびたび来ていたらしいから、おそらくあげたんだろうとわしらは納得した。残してきた子供だとはいえ、親として何かしてやりたいという気持ちは、常に持っていたのかもしれない。叔父や叔母から聞いた限りでは、親父も、養子に行った先の親や親せきには恨みはあっても、子供にはなんの恨みもなかったはずだ。家を出るとき、当時の連れ合いに、一緒に家を出ようと誘ったが、連れ合いは家を選んだということだった。

 この人からは一度だけ電話があった。わしが出ると「○○さんと同じ声じゃね。○○さんと話とるようじゃね。」と懐かしそうにしゃべっていた。その後再婚しなかったらしいから、話を聞きながら、あの時に、親父と一緒に家を出た方が、この人は幸せになれたのではないだろうかと考えてしまった。まあそうなれば、わしはこの世に生まれてなかったんだが。

 親父は、おふくろが亡くなったこともあって、少なくとも最後の数年は、残してきた二人の子供のことが気になっていたことは間違いない。親父は親父なりに真剣に向き合っていたんだろう。或いは、過ぎ去った時間を、少しでも取り戻したかったのかもしれない。そうすることで、気持ちが楽になったのなら、それはそれで良かったのではないかと思っている。

 これで終わればいい話なんだが、この人たちは、法律通り、残った財産の半分を要求して持っていくと、その後、法事にも墓参りにも、やってくることはなかった。わしは本当は、この人たちとも長く付き合っていきたかったんだが、向こうにはそういう気持ちはなく、ただ遺産相続だけが目的だったようだ。親が思うほど、残してきた子供は親を思ってないのかもしれない。