無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと9804日 大日本史

身の回りの整理を始めているがなかなかすすまない。ちょっと油断するとすぐにたまってしまう。ほんと、困ったものだが、やっとこの間から本の整理にとりかかった。この家で一番場所をとっているのが本だということは間違いない。

その中でも一番家に負担をかけているのはサンケイカメラとかカメラ毎日、アサヒカメラといった写真雑誌で、昭和30年代からのが揃っている。これらの雑誌はいい紙を使っているのでとにかく重い。

次に多いのが大東亜戦争史関連の本で、ほとんどが古本屋を回って買い集めたものだ。中には貴重な本もあるんだが、戦史には子供らも興味はないようで、いずれは紙ごみで出されてしまうんだろう。

すると女房は、それがわかっているのなら、とにかく古本屋に来てもらって売れる本は全部買い取ってもらって、売れない本も全部処分してもらったらどうかと提案してくるんだが、集めた本をすてるということはそれほど簡単ではない。

本棚で異彩を放っているものと言えば、義父の形見分けでもらった漱石全集、菊池寛全集、蘆花全集、これらは初版本で、いかにも古そうだ。皮表紙の藤樹先生全集、山路愛山訳の大日本史、これらは貴重な本のようだが、かなり傷んでいる。女房が形見の本は全部処分していいというので、これにはちょっと期待している。

しかし、ここで問題が発生した。この大日本史、初めて読んでみるとなかなか面白い。作業をわすれて読んでいるうちに、売るのが惜しくなってきた。学校で習う歴史の教科書では、水戸光圀が編纂した歴史書だと紹介されているだけで、どんなものか想像したことも無かったが、記載事項が全て出典付きで、大変な労作だ。

ただこの本は、旧仮名遣いは当然だとしても、文字が小さすぎて読めない。しかしそこは心配ない。7~8年前に石坂浩二が宣伝していた頃、娘が買ってくれたハズキルーペを持っている。たしかにこれは強い味方だ。

本が傷んでいて、何回も読み返すことができないので、南北朝あたりはどのように書かれているのか、後醍醐天皇の項から書写を始めて1周間になる。

「諱は尊治後宇多帝の第二子なり」から始まって今日「13日丁亥、北条高時、文観を硫黄島に、忠圓を越後に徒して圓観を陸奥に拘ふ。」まで書き写した。風雲急を告げてきたあたりだ。

そんなことで、本の整理は少しお休みになってしまったが、焦っても仕方がない。金がかからないということが条件だが、思い立ったらなんでもできるというのは、年金生活の醍醐味だといえるのかもしれない。