無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと9606日 軍歌をうたう

先日、12年目になるテレビが壊れてしまった。32型シャープアクオスだが、シャープ液晶の最盛期の頃だろう、世界の亀山というステッカーが貼られていた。当時メイドイン亀山とかいって誇っていたが、落ちぶれ果てた今の姿を見ていると、栄枯盛衰は世の習いだということがよくわかる。

今度買った東芝レグザは、ネットに直接wifi接続ができるので、毎朝の掃除のときにはユーチューブで音楽を流している。音楽といっても主に軍歌だが。4年前のリフォームで窓も2重にしたので、少々ボリュームを上げても、ほとんど外には聞こえないはずだ。

以前のテレビはファイアースティックを使っていたが、反応が遅い上によく切れたので、結局使い物にならなかった。今のはリモコンにユーチューブ専用ボタンもついていてたいへん使いやすい。

私の軍歌好きは子供のころからで、小学3年生の時の正月に、兄とふたりで「懐かしの日本軍歌集」という本を買って以来、有名どころの歌はほとんど覚えてしまった。ばらばらになったその本の一部がつい最近まで家にあったくらいだから、よっぽど気に入っていたんだろう。

事変の頃からの歌はよく知られているが、日清日露の頃の歌はそれほど有名でもないので、勇敢なる水兵、爆弾三勇士、満州行進曲なんかは若いころ軍隊酒場に行っても歌える人はあまりいなかった。

軍歌集があってもピアノが弾けるわけでもないので、楽譜を見ただけではなかなかわからない。当時は軍歌のソノシート4~5枚入った冊子が本屋で売られていたので、時々それを買ってもらった。幸いにもうちの親は日教組に影響されてなかったようだ。

日本の軍歌や戦時歌謡は他の国のものとは違って、やたら勇ましいものばかりではない。「戦友」は有名だが「麦と兵隊」「ああわが戦友」「戦友の遺骨を抱いて」「父よあなたは強かった」「愛馬進軍歌」みんないい歌だ。

高校の英語の先生をしていた近所のF君のお父さんが「父よあなたは強かった」のspレコードを持っていた。プレーヤーが無かったので、F君に頼んで持ってきてもらって、当時通っていた小学校の放送室で一緒にこっそりと聴いたものだ。

聴きながらF君が「父ちゃんは、昔この歌を泣きながら聴いとったらしい。」とつぶやいた。F君のお父さんがどんな体験をされたのかは知らないが、このF君の言葉を今でも覚えているということは、おじさんにとってこの歌は悲しい歌なんだと、あの強く時感じたんだろうと思う。

去年久しぶりにF君に会った時にこの話をしたが、覚えていなかった。あれから60年たち、人も世の中も変わってしまった。