無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと9566日 平和の代償

うちの近くにも平和通りという大きな通りがある。終戦後できたもので、片側2車線で広い中央分離帯があるから、相当思い切って作られたものだろう。同じような平和なんとかという地名は、全国各地にたくさんあるが、おそらくそのほとんどは昭和20年代に命名されたものだと思う。

幸いなことに、日本国内は周囲の喧騒をよそに、表面上は平和に75年が過ぎた。そして多くの人が、日本国民が望めば、「平和」は未来永劫自分たちに与えられた権利だと錯覚してしまったようだ。

この資源もない日本で、国内にはものがあふれ、欲しいものはなんでも手に入るし、道路はどこへ行ってもきれいに整備されている。こんな生活がなぜできるのか考えることもなくなった。この状態も未来永劫続くと、何となく思っている。

これを傍から客観的にみれば、馬鹿じゃないの?と思われても仕方がないと感じるのは私だけではないと思う。

今中東で起きていることは、今回なんとか治まったとしても、いつか必ず暴発するだろうことは誰にでも予測がつくところだが、その時までに石油の中東依存度を下げておくとともに、石油火力発電からの脱却もやっておかないと、今の生活は吹っ飛んでしまうだろう。

昭和49年に、ニューヨークからペルシャ湾にあるイランのカーグ島まで2往復したことがある。当時は第4次中東戦争の影響でスエズ運河が閉鎖されていたので、アフリカ南端の喜望峰回って、しかも経済速度で減速運転していたため、片道40日かかった。2往復したら1年の半分が過ぎてしまった。

雪の降るニューヨークを出港し、40日で春夏秋冬を経験しながら、灼熱のペルシャ湾に到着、24時間ほどで油を満載して、休む間もなく再びニューヨークへ向かって出港だ。朝起きて会社に行って夜になると家で家族と団らんなどという、人間的な生活とは無縁の環境だった。

家族と離れ、今の日本の生活を裏で支えている日本国民がいて、それが危険にさらされる恐れがある時、それを守るのは本来米軍ではなく自衛隊だと思うが、自衛隊員を危険な目にあわせてはいけないなどと、馬鹿なことを叫んでいる国会議員がいることが信じられない。

野党議員はおそらく判った上で言っているんだろうが、それは自衛隊員の名誉を著しく傷つけることもなる。

本当に自衛隊を心配するのなら、一日も早く憲法を改正して、フリーハンドを与えるべきだ。それに、国家の生命線である原油輸送を守るのは国会議員の仕事だろう。

日本船は昔から船体にでかい日の丸を書いて危険地域にも行っている。昭和55年イランイラク戦争では商船三井の運航するコンテナ船アルマナックがロケット弾攻撃を受け、藤村憲一さんが亡くなられている。

東日本大震災のときに「たかが電気だ」と言った音楽やがいたが、その「たかが電気」を生み出すのにどれだけの手間と費用と労力がかかっているかということすら理解できなくなっている。特に団塊世代に、自分の存在以外すべてを軽く見て、小ばかにするという軽佻浮薄な人間が多いように思っている。早く死ねばいいんだが、残念ながら寿命だけは如何ともしがたい。

日本の将来は若い人たちにかかっている。民間船舶の船員も、今回派遣される自衛隊員も、安全に職務を完遂できることを願っている。