無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと9169日 Tさんの奥さん

子供の頃の思い出の中でずっと気になっていたことが、先週独居高齢者のAさんを訪ねた時に、にわかに解決してしまった。Aさんとは「あと9510日憧れのAさん」のAさんのことだが、私が赤子の時から近所に住んでいて、担当独居高齢者は15人いるが、唯一昔話が通じる方である。

よく親を亡くすことは過去をなくすことだと言われるが、両親、特に母親が亡くなって15年、過去を無くしたと心底残念に思うことが何度もあった。Aさんと話をしていると、時々そんな記憶の隙間を埋めてくれることがある。

先週のことだ。いつもの様に訪問して話していると、Aさんにもこの近所に憧れの人がいたということがわかった。Aさんはガキどもの憧れだったが、そのAさんにも憧れの人がいたというのを聞いてちょっと驚いた。そしてそのことが長い間謎だった一つの思い出を解決に導いてくれた。

まだ学校にあがる前の昭和32~3年のことだと思うが、同じ町内に2軒長屋があった。ある日のこと、母に2軒長屋のうちの一軒に行って町内会費をもらってくるように言いつけられた。私はいやいやながらも町内会費を入れる箱を持って出かけた。町内会費はたしか50円だった。今は3000円だからこの60数年で60倍になっていることになる。

玄関を開けて「こんにちは」というと、女の人が出てきたが、なんとその人がシミーズ姿だった。向こうは子供だから別に気にもしなかったんだろうが、わたしも幼稚園児とはいえ、クレヨンしんちゃんではないが、ちょっと気にはなった。

しかもその人のきれいなこときれいなこと。こんなきれいな人を見たことが無かった。まるで映画ポスターなどでよく見る女優さんのようだった。その人は「ちょっと待ってね。」と言ってタンスの中から50円玉を持ってきて箱の中に入れてくれた。私は恥ずかしくなって俯いたままでそれを受け取った。

私はそういう風に感じたことが、何か悪いことをしたような気がして、このことは親にも話せなかった。そしてあの人は誰だったのかいつか聞こうと思いながらとうとうその機会をなくしてしまった。ところが先週のこと、突然それを知る機会がAさんによってもたらされた。

「○○さん、ずっと昔、この先に2軒長屋があって、そこの一軒にきれいな女性がいたの知ってますか?」

これを聞いて私はあのシミーズの人だとピンと来た。

「はい、覚えてますよ。あの人は誰だったんですか?」と聞いてみた。

「あの人は、今は亡くなって家も取り壊されていますが、隣の組に住んでいたTさんの奥さんです。当時は新婚であの長屋に夫婦で住んでいたんですよ。それはきれいな人で、私は中学生でしたが、憧れの人だったんですよ。」Aさんは教えてくれた。

私はTさんという名前の人が町内に住んでいたということを知ってはいたが、お二人ともわたしが町内会に関わる前に亡くなくなられているので全く存じ上げない。ただ、奥さんはきれいな人だったということは両親から聞いていた。

Aさんの話を聞いていて、ああ、あの人がTさんの奥さんだったのか、あの頃がTさん夫婦の楽しい新婚時代だったのかと思うと、なんか感慨深いものがあった。できることならお会いしてみたかった。AさんもTさんの奥さんに憧れた自分の子供の頃を思い出したのかもしれない。しばしの沈黙の後「本当に月日が経つのは早いですね。」とつぶやいた。