無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと8851日 精神の老化

今年も残すところあと1日、人生残すところあと24年となった。たとえ24年あるとしても、今のままの状態で24年間を過ごせるほど甘くはない。気力体力がいつまで続くか、だんだんと自信が無くなってきたのも事実だ。

従容として死を迎えるということは、その瞬間に死を意識できるということであるから、それを望むなら今の意識を持ち続けなければならない。私にとってそれができなくなったらもう生きている価値はないともいえる。

幸いなことに、今のところ何の自覚症状もないので、フィジカル的にはこれといって悪いところはないと思っている。もちろん膝が痛い、腰が痛い、踵が痛い、肩が痛い、動きが遅い、後ろ周りができない、時々咽る、布団から起き上がるのが遅い等いろいろ老化の症状はあるが、こんなことは病気ではないし、耐えるしかない。

問題はそのフィジカル的な老化が、精神に及ぼす影響である。最近これに気が付いた。今でも公民館、民生委員などで時々家を出ることはあるが、それ以外はほとんど家で過ごしてきた。一種の人体実験ともいえる。思考によって精神は鍛えられ、老化は防げると思っていたが、どうやらそれだけではいけないようだ。

「フィジカル的な老化が、精神に及ぼす影響から逃れるにはどうすればいいか?」精神の老化をいかに防ぐか、少し視点を変えて、来年以降真剣に取り組む必要がある。

 

コロナもあり、世間にも自分自身にもいろいろ疑問を感じた一年でした。

来る令和4年が皆様にとってもより良き年となりますようお祈り申し上げます。

一年ありがとうございました。