無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと9237日 まあええじゃないか

「本八日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。」ということで79年前の12月8日早朝大東亜戦争が始まった。待ってましたとばかりに、ジャップの卑怯なだまし討ちだと、アメリカの戦意高揚にさんざん利用されてしまった。誠に愚かな攻撃だった。

ずらっと並べられていた、のろまで役立たずの旧式戦艦を着底させただけで、修理ドックも石油タンクも攻撃しないという中途半端なやり方をみていると、4年も続くあの戦争があれほどのものになるなど、まるで予想もしてなかったかのようだ。

アメリカが攻撃を事前に知っていたということは今では当たり前のことだが、靖国神社遊就館の展示に文句を言ったように、世界中が認めても彼らは認めないだろう。彼らにとってリメンバーパールハーバーアメリカ=正義のよりどころだからだ。

 たった5か月後のミッドウェー海戦では、帝国海軍の暗号を解読していたことを誇らしげに認めているのにな。真珠湾の時はその組織が眠っていたのだろう。

昔は兄貴とこんな話を始めると終わることがなかったが、最近はあまりのってこなくなった。体調が悪いと言って酒もあまり飲まなくなったのもあるかもしれないが、案外忘れているのかもしれないと思うようになった。

今でも仕事をしているし、71歳だからボケるにはまだ早いが、以前に書いたことがあるように子供の頃の話なんかもけっこう忘れている。自分のことを棚に上げて言わしてもらえば、まあ仕事が激務だったからその分脳の衰えも早いのかもしれないな www 閑話休題

この75年間で、現場でこう戦ったという当事者の書いた本はたくさん出版されてきたが、当時の指導者の、こう戦わせたという本は見たことがない。多くの指導者は黙して語らずで、墓場まで持っていった。そんな中で積極的に録音に応じたり、本を書いたりした者もいたようだが、自分を正当化するために都合のいいように利用しているだけで、かなり加減なものもあったようだ。

戦犯裁判が行われていた関係もあるのかもしれないが、結局戦争の経緯が総括されることなく、経済発展の宴に酔いしれて、「まあええじゃないか」と踊り狂った挙句、三島由紀夫の言ったとおり、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残ったのかもしれない。

今回の選挙でアメリカの弱点もさらけ出されたし、そろそろ酔いから覚め人も出てきていい頃なんだが、もう残ってないのかな。