無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10906日

 わしの家系ではガンで死ななければ94歳まで生きると知り、ではわしも94歳まで生きる事にして始めたブログだが、まだ10906日もあると考えるか、それだけしかないと考えるかで生き方がかなり違ってくるだろうな。いったい何をしにきたのか、限りある命をいただいて生きて来た64年という歳月が過ぎ去った。子供の頃は大人になれば知恵がつくと思っていたが、64年生きて来てもたいした知恵もついてない。おそらくこれはわしだけではないと思うぞ。こんなおとながごろごろしているんじゃないかな。

 昭和39年10月10日(土)中学1年だったが、12時過ぎに学校が終わり、激チャリで家に帰り、小さな白黒テレビのスイッチをいれた。東京オリンピックの開会式中継をみるためだ。オリンピックマーチが演奏される中、防衛大学校の学生の持つギリシアのプラカードを先頭に整然とした行進が続いた。わしは興奮したね。体育の授業は陸上競技観戦、最後のマラソンなど、社会科の授業中止で円谷、ヒートリーのデッドヒートも見る事ができた。学校でも、どこへ行ってもオリンピックの話でもちきりだった。良い時代だったよ。

 翻って今回の東京オリンピックの騒動をみて思うのは、いったいどんな人たちがこの昭和39年のオリンピックを準備し実行したのだろうかということだ。年代から考えると、かかわった人達全員が、戦前の教育勅語にそって教えを受けて来た人であったことは間違いないだろうな。マスコミは戦前を否定する論調であふれているが、今回のでたらめぶりをみていると、どちらの教育が人間の形成に役立っているかよくわかるな。まあ、ごろごろいる、知恵の無い、ちょっと目先のきいた連中が仕切っているんだとしたら、まだまだこれからトラブル多発だろうな。