無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと8442日 戦後教育は正しかったのか?

国民のほとんどが戦後生まれとなり、大東亜戦争を歴史としてしかとらえられなくなった今の世代の中には、この日本が大東亜戦争以前よりも良くなったと感じている人が結構多いのではないだろうか。

しかし、戦前を軍国主義と切って捨てて、平和を求める諸国の中で、帝国主義日本だけが世界征服を企み、大暴れして周辺に迷惑をかけた。結果戦争に負けて反省謝罪し、平和国家を築いてきたというような歴史は正しいのかどうか、普通の知能があれば、ちょっと考えたらわかるはずだ。

受験に関係ないので興味もなく深く考えることもしない。しかし確実に記憶のなかに擦り込まれていく。日本人としての尊厳にかかわる大問題であるにも関わらず、それに興味を持たない、持たさないということは実は犯罪にも等しい。

大日本帝国軍国主義と呼ぶなら、その当時軍国主義でない国があったのか。アジアの国々に迷惑をかけたというが、アジアに迷惑をかけていたのは、長年支配して搾取してきたイギリスであり、フランスであり、オランダであり、アメリカではないか。

それらの国々と競争しなければならなかった戦前の社会が間違っていたというなら、今の社会はそれほど立派なものだといえるのだろうか。

例えば、昭和39年の東京オリンピック、昭和45年の大阪万博だ。金も情報もない時代にこの大事業を成し遂げたのはみんな戦前の教育を受けた人たちだった。社会を動かしている人たち、というよりも周りの大人はみんな教育勅語で教育を受けた世代だった。

一方エンブレムのインチキから始まり、今なお逮捕者が続出している今回のオリンピックは、素晴らしい平和国家で自由に完璧な戦後教育を受けた人たちだ。この違いをみればどちらが優れていたかは一目瞭然だろう。

最近では一部NPOによるいわゆる「公金チューチューシステム」。LGBTがどうのと、おかしな方向に向かっているように感じている人は多いのではないだろうか。時間を昭和20年8月15日に戻して、GHQ抜きで再出発をするくらいの改革をできる指導者が現れてほしいものだ。