無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10568日

 4月から女房の仕事が始まったので、朝起きるのが早くなった。女房が起きると、犬も一緒に起きて、うろうろしだすので、わしも起こされてしまう。3月までは8時過ぎに起きて、9時30分頃から掃除にかかっていたが、最近は8時頃から掃除にかかれるので、10時頃には完了するようになった。それからベランダに上がり太陽参拝、祝詞奏上終了後、『朝の論語』を読む時間もできた。ほんとに早起きは三文の得だと思うが、昼過ぎから眠たくなるのは困る。わしなんかずっと家にいるんだから、眠たくなれば寝ればいいんだろうが、昼寝をすると、なんか損した気になるのはどうしたことだろう。

 わしは掃除をする時、スマホで歌謡曲を聴く事があるが、イヤフォンをしていると邪魔になるので、去年は女房が家にいない時は、パソコンのボリュームをあげてユーチューブの音楽を流していた。しかし如何せんノートパソコンでは音があまり良くない。そこで今日は、この間購入したFireTVを使ってみた。テレビが古いので、最近の物のようにはいかないが、それでもそこそこクリアな音がでて鳴り響いていた。わしにはこれで十分だ。

 しかし、困った事には、島倉千代子、田端義男なんかを流していると、ついついテレビの画面をみてしまうんだな。その度に手がお留守になる。見なければいいだけなんだが、「東京だよおっかさん」なんかを、島倉千代子が感情を込めて歌っている歌声が聞こえてくると、画面を見なくてはいられなくなる。親父が好きだった田端義男の「かえり船」なんかも同じだ。こういう状態だから掃除にも多少時間はかかるが、これは許してもらおう。

 4月からは夕食の支度も始まった。去年は午後4時からとりかかっていたが、今回から昼食後すぐに準備にかかるようにした。料理もだいぶ手早くなったので、2時頃には終わる。それから5時まで全くのフリータイムになるので、5000歩あるいた後で、ネットをみることもできる。

 さて、今年度もこの生活が12月まで続くことになるので、心を乱される事が無いよう、穏やかに過ごしたいとは思うが、来年には、わしの住んでいる地区に町内会長の順番が回ってくるので、今回は引き受けざるを得ないだろうな。