無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

生きる力(あと10009日)

いつまでも生きたいと願ったところで、長生きしてもたかだか80数年というところでしょう。私の場合は94歳まで生きるかもしれませんが、それとても、願って実現できるものではありません。

普段は忘れていても、死はすぐそこにあることに変わりはありません。それを忘れることによって神経症にならずにすんでいるだけだと思っています。意識した瞬間、死へのカウントダウンが始まり、これを止めるためには大きなパワーが必要になります。

私はそのパワーが生きる力だと考えています。この生きる力が無くなった時、若くても、肉体的に異常がなくても人は死んでしまうのではないでしょうか。

将来への希望、結婚、新しい家庭、子供の未来、大いなる力への畏怖等、私たちに生きる力を与えてくれるものは、常に意識の中に芽生えてきます。これは死を意識するようになった、人類だけに与えられた智慧だと思います。

母は10か月の闘病後、その生きる力が枯れ果てた時、死に対する恐れも薄れ、死を受け入れることができるようになりました。死はその時が来たら、決して恐ろしいものでは無いのかもしれません。

従容として死んでいきたいと願っていても、その時が来なければ難しいということでしょうか。