無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと9079日 さよなら小太郎


令和3年(2021年)5月14日(金)23時56分、犬の小太郎が息を引き取った。女房に抱きかかえられて、二男と私が見つめる中ゆっくりと心臓が停止した。死因は心臓僧房弁閉鎖不全症だった。我が家の三男坊だと思っていた小太郎が弱っていくのを眺めているのは本当につらいことだった。

8日(土)の夕方から息遣いが極端に荒くなり、あまり動けなくなってしまった。ひょっとしたらこのまま死んでしまうのかと不安になったが、肩で息をしながらも月曜の朝を迎えることができた。

月曜からは女房も二男も仕事に出かけるので、夕方まで一人で小太郎を見なければならない。もしも女房の留守に死んだりしたら、薄らいでいく意識の中で一生懸命女房を探し続けることだろう。そんな小太郎は見たくなかった。

月曜に病院に連れていった。レントゲンを撮ったあと、呼ばれて診察室にはいると小太郎がしがみついてきた。「今日死ぬかもしれないし、明日かもしれない。いずれにしてもそんなに長くはない。」と言われた。3種類の薬をだしてくれたが恐らく気休めみたいなものだろう。

その日から1日24時間、死んでいく小太郎との生活が始まった。火曜、水曜と日が進んでいくうちに、昨日できたことが今日できないというように小太郎の弱っていく様をみていると、悲しさに打ちのめされそうになったこともあった。とにかく夕方がきて、女房が帰って来るのが待ち遠しかった。

獣医からはドッグフード以外は与えてはいけないと言われていたが、食べることが大好きな小太郎には禁忌品以外はなんでも与えたしよく食べた。そんな小太郎も亡くなる14日(金)の朝は朝食のイチゴを少し与えても食べなかった。こんなことは初めてだった。午前中に夕食の肉じゃがを作っているときも元気な時のように纏わりつくことも無かった。

その日の夕方、女房の帰宅をいつものように小太郎と花子が並んで尻尾を振りながら出迎えた。私が晩御飯を作って与えたが、わんわん鳴きながら跳ね回って待っている元気だったころの小太郎の姿はもう無かった。テーブルの下でじっとたたずんでいた。

あまりにも息が苦しそうなので、夕方帰ってきた二男が近所のドラッグストアに酸素ガスを買いに行った。つけてやると嫌がったがそれでも少しは楽になったようだった。こんなことならもっと早く気が付いてやればよかったと後悔した。二男が遅めの夕食中にやってきた小太郎にじゃが芋と肉を与えると喜んで食べたそうだ。そしてこれが小太郎最後の食べ物になってしまった。

午後10時過ぎのことだった。今夜は大丈夫だろうと女房や二男に任せて2階の自室にいると、小太郎がおかしいと女房が呼びに来た。急いで降りていくとぐったりしている。女房と二男が泣きながら呼びかけていた。その後少し回復したがもう歩く元気はないので、そのまま抱いて布団まで連れていった。

一生懸命生きようともがいている小太郎に、酸素マスクをあてて呼びかけることしかできない自分がもどかしかった。亡くなる2分ほど前に突然小太郎が起き上がった。そして1~2歩歩いたかと思うと足の力が抜けて上から押しつぶされるように倒れた。見ると息をしてない。女房が抱き上げて「小太郎、小太郎」大声で呼びかけると蘇生して激しい呼吸をしだした。

酸素マスクをしてやりながら、3人で呼びかけ続けると一瞬だが数回力強く尻尾を振ってくれた。そして息が弱くなっていった。最後に私たちに気が付いてさようならとあいさつしてくれたんだろうか。そうであればこんなうれしいことはない。

舌が出てきてもう意識はないはずだ、楽になったはずだと思いながら体をさすっているうちに心臓が止まり、だんだんと冷たくなっていった。

元気なうちは嫌がって使わなかった犬用のクッションの中に寝かせて、小太郎に食べさせようと女房が仕事帰りに買ってきていたおやつとリード、おもちゃ等ゆかりのものを入れてやった。早朝には花を買いに行って飾ってやった。女房は泣きながら小太郎が大好きだったサツマイモをふかして口の横においてやった。もうしてやれることは何もない。犬の死がこんなにつらいとは思わなかった。

先に死んだ犬は、天国の入り口にある橋のたもとで、やってきた飼い主を迎えてくれるという言い伝えもある。小太郎は私たちが行った時に待っていてくれるだろうか。会えるのが楽しみだ。

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さよなら小太郎