今やったことも考えたことも、この瞬間に過去になってゆくということは、理屈ではわかっていても、なかなか捉えることができません。それらは全て消えていくのかというとそうでもなく、ある時に突然現れたりして、困惑させられることもよくあります。
通常毎日5000歩あるいていますが、何も考えずにひたすら歩くことに集中していても、常に過去は自分の中で大騒ぎをしています。半世紀以上前に親と交わしたちょっとした会話や、幼稚園児の時の先生との会話など、とっくの昔に忘れてしまっていたことが突然閃いてくることも度々あります。
大抵のことは、浮かんできても放置していると自然に消えていきますが、このようなとっておきのレアな経験を持ち出してきて、特に注意を引こうとするのかもしれません。
集中しようとしているのも自分なら、邪魔しようとするのも自分であり、どちらも自分が求めているものかもしれません。こうなると自分の意志とはいったい何なのかよくわからなくなります。
意志とは関係なく、過去は消えることなく、すべてが時間の中に残されていくとしたら、今の自分の行い、感情すべてが消えることなく未来の時間につながっていくことにもなるはずです。
そして、1人の人生が終了する時、その瞬間に時間の流れの中に残された、それらすべてを見ることができるのかもしれません。死の直前の一瞬の眼の輝きは、生きてきた証として、それらを経験しているのかもしれません。
「人が1人の人間になるのは、決して生まれることによってではなく死ぬことによってよってである。............1つの人生はそれが生み出す作品によってではなく、死によって完成する。」とはミンコフスキーの言葉です。
死があるからこそ、生きることが意味を持つのではないでしょうか。