無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

人生の持つ意味(あと10000日)

今日であと10000日となりました。明日からは4桁になり、もう二度と5桁にかえることはありません。さて、次に生きて3桁になる日、あと1000日を元気に迎えることができれば、その時は案外死を心待ちにしているかもしれません。

こうして余命を毎日カウントダウンしている人はあまりいないのではないかと思います。夜になり、愛用の3年手帳の今日の欄に、あと10000日と記入することになりますが、今のところ、少しさみしいような感じもしています。

死があるから生きることに意味が生じるとしても、やはりこの世と別れるのは寂しいし、未知の世界に行くことに対する恐れも当然あります。それでも時がくれば行かなくてはなりません。

人生が死によって完成するなら、嫌も応もありませんが、それにしても、死によって浮かび上がり、完結されるこの人生の持つ意味とは、いかなるものなんでしょうか。それは数十年の人生を過ごすことによって得たものなんでしょうか。或いはこの世に生を受けるということによって得たものなんでしょうか。

答えは本には書かれていません。

死によってではなく、生きて人生を完成させることができれば、こんな幸せなことはありません。