無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと9130日 ルール変更

最近世界中がちょっときな臭くなってきたように感じている人も多いのではないだろうか。震源地はどれも中華人民共和国に関係している。凄まじい規模の人権侵害が行われているウィグル問題に対して、突然西欧が一致して問題提起をするというこの状態を、どう考えたらいいのだろう。中華人民共和国にしたらまさに青天の霹靂としか思えないかもしれない。

チベットで何があったか、内モンゴルで何があったか、天安門で何があったか、法輪功がどうなったか、情報網を持つ西欧諸国が知らないはずはない。相手の嫌がることは言わないとばかりにだんまりを決め込んで、金儲けに勤しんできた西欧諸国の風向きが変わったのはどうしたことだろう。

ひょっとすると、中華人民共和国が独り勝ちできると錯覚して、欲を出しすぎたからかもしれない。現実的に今の世界を支配しているであろう西欧諸国にとって、一番大切なものはマネーであり、人権なんかであるはずがない。そんなものは単なる道具に過ぎない。その大切なマネーを独占しようとしたらそれは叩かれるだろう。

中華人民共和国は日本の経済バブルをよく研究していて同じ轍は踏まないらしいが、残念ながら経済バブルはわかっても、チャイナ大陸にたかだか数十年存在しただけの中華人民共和国の概念で、日本の国民感情をおし測ることは不可能なようだ。バブルで一番の失敗は総量規制なんかではない。それは単なる結果であって、最大の失敗は当時のルールで勝ちすぎたことだ。そしてナンバーワンになれるかの如くふるまったことだと思っている。そして、ルールは変更された。

中華人民共和国は、いまだに羹に懲りてなますを吹いている日本をみて、笑っているのかもしれないが、今彼らはまさに同じ轍を踏もうとしていることが分かっていない。突然のウィグル問題の提起とはまさにルールの変更だということが。残念ながらルールを作るのは中華人民共和国ではない。

いま南シナ海でフィリピン領の環礁に中華人民共和国の船が多数集まっているようだが、以前と違ってルールが変更された今、どれほどのことができるかゆっくり見せてもらおう。案外悪天候を避けるためだったとかいって、すんなり出ていくのではないだろうか。