無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと8797日 70を過ぎて気が付いたこと

すでに人生の最終コーナーを回った身としては、来し方行く末いろいろ考えることはあっても、若い頃のように突き詰めて考えることはしなくなった。考えても仕方がないと言ってしまえば身もふたもないが、いくらあがいたところで明日か、或いは10年後かしらないが、いずれにしても遠くない将来お迎えがやってくるのだからそれもいいだろう。

最近気がついたことだが、なぜか70歳を過ぎたあたりから怒りがコントロールできるようになったようだ。2月の初め頃のことだが、生まれて初めて、理不尽な怒りをぶつけてきた人を冷静に説得して、間違いを認めさせるという離れ業をやってのけた。おそらく相手は以前の私のように自己嫌悪にさいなまれたことだろうが、こちらは気分爽快だった。

怒りをコントロールできるということが、これほど楽しいことだし、人生を豊かにできるとは思わなかった。これは70からでも遅くはない。若い頃から短気ですぐに切れて、ちゃぶ台返しをやった後で自己嫌悪に陥るという馬鹿なことを繰り返して、皆さんに迷惑をかけてきた身としてはうれしい限りだ。

もう一つ70を過ぎて気が付いたことがある。それは貧富の差が感じられなくなったということだ。寿命が無限にあると思っていた若い頃は億万長者は羨ましかったが、人生ほとんど終わってしまって気が付くのは、残り少なくなった年月を幸せに生きるために絶対に必要なのは、金ではなく健康な体と健康な精神だということだ。

その上に金があればなお結構だが、その優先順位は下がるということだ。

あと少しの間、健康な体と健康な精神さえあれば、家があって、毎日食べることができて、遊びにちょっと使える金があれば、他に羨ましいものは何もない。