無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと8699日 工賃4000円の仕事

自分の周りの状況は、昨日も今日も何も変わってないのに、気持ち次第でそれが明るくなったり暗くなったり、優しくなったり厳しくなったり、様々に変化するということはよくあることだ。私も毎日を淡々と過ごしているつもりでいても、感情の起伏は常に感じているし、それによって見る景色が変わることもある。普段やらないことをやって、それがうまくできた時など浮き浮きした気分になることもあり、それが経済的にプラスになった場合などはなおさらのことだ。

昨日、13年乗っているフィットの左側のミラー内のギアが破損して、格納モーターが止まらなくなった。走っている間中ガタガタ音をたてるのでうるさくて仕方がない。今回は2回目なので慌てることもなかったが、去年右のミラーが同じ状況になった時は、焦って近所の修理工場の社長に来てもらった。

社長のいうには、これはフィットの持病みたいなもので、樹脂製の歯車は10年くらいでダメになるらしい。中古のミラーと取り換えたら3万円くらいかかるが、手動格納のままでいいのなら、その線を切ってモーターを止めるだけでいいので、工賃4000円でできると言われた。

その時は考える暇も無かったので4000円で社長にやってもらったが、今回は原因がはっきりわかっているし、モータに繋がる線を切るだけなら自分でできるだろうと、ネットで調べてみた。ドアの内張りを外すとか、カプラーの端子を抜くとか、ぶっつけ本番でやるのだからすんなりいくとは思わないが、4000円払うことを考えたらやるしかないだろうということで、今朝10時から作業にかかった。

若い頃は外国航路のエンジニアをやっていたので、こういう作業に違和感はないが、当時のように図面で確認しながらやるわけではないので、ネットの記述で内張りは思い切り引っ張っても大丈夫と書かれていても、どれだけ引っ張ればはずれるものなのかよくわからない。引っ張ったり緩めたり、試行錯誤しながら30分もかかってしまった。

次にカプラーから格納モーターに繋がる端子を取り外す作業にとりかかった。それが白色の線だということはネットで調べていたのですぐわかったが、さて、それをどうやって抜くのかわからない。ユーチューブではカプラーの形態によって様々な抜き方が紹介されているが、フィットと同じ型のものはない。

それでもやり方は基本的に同じはずだと、これも30分ほど試行錯誤するうちにリテーナーの構造がわかってきた。これさえわかればしめたものだ。そのあと8mmの精密ドライバーを使って端子を押し出すと簡単にはずれた。

この状態でつないでテストしてみたところ、ガリガリという音はきこえない。電動で格納はできないが、ミラーの角度の調整やウィンカーはきちんと作動した。これで完了だ。あとの復旧に15分かかったが、全部で2時間弱で終わった。これで4000円分の仕事をしたと思えば、達成感に満たされたこの清々しさは久しぶりの体験だった。

話せばたったこれだけのことであり、他人から見ればどうということはないつまらないことかもしれない。しかしそれは当然のことで、達成感や清々しさという感覚を作り出したのは自分であり、他人は関係ないことだ。つまり100人いれば100の世界が存在する。自分の見る世界は他人の評価も受けつけず、まさに自己満足の極致かもしれないが、自己満足大いに結構ではなかろうか。いずれにしても楽しい一日だった