無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと8694日 雨を眺めながら

今日は久しぶりの雨で、窓から見える城山も霞んでいる。その姿は昔と変わらないが、窓から見える景色は子供の頃とは随分変わってしまった。第一に平屋の家が無くなり、全部2階建て以上になって見通しが悪くなった。うちの家は2階建てだったから、2階に上がると遙か向こうまで見渡すことができた。

特に夜の火事はよく見た覚えがある。というのもこの辺りは小学校から大学まで学校が集中していて、昔は設備も悪かったからなのか、或いは放火だったのか知らないが、それらの学校が良く燃えていた。夜の火事は火の粉が舞い上がるのがよく見えて、500m先でもすぐそこで燃えているように感じられて恐ろしかった。

幸いこの辺は住宅街で今でも静かなほうなんだが、昔は恐ろしいくらい静かで、夜になると1キロほど離れた動物園からライオンの咆哮が聞こえてきたり、国鉄予讃線を走る蒸気機関車の汽笛が聞こえてきたものだった。厳冬の頃には近くの寺から、白装束の集団がうちわ太鼓をたたきながら家の前を通るのがこの世のものとは思えなかった。

最近はそんなことはないが、昔は子供の泣き声がよく聞こえいたような気がする。私自身も経験があるが、いうことを訊かない子供が父親に叱られて、家から追い出されてよく泣いていた。今でも覚えているのは、朝が来たらこのままで学校に行けとでも言われて追い出されたんだろうが、うちの前の三叉路で、兄弟でランドセルを背負った状態で泣いていた子等のことだ。父が笑いながら「○○さんとこの子かな。」と話していたので知っている家の子だったようだ。結局最後は母親が迎えに来て、「父ちゃんによく謝って許してもらおう」と手をひいて帰ることになるんだが、今なら児童虐待で通報されるかもしれない。

ゆったりと雨を眺めていると、いろいろ昔のことが思い出されて楽しくなってくる。それも両親や兄、友人、近所の人たちにもお世話になって、幸せな少年時代を過ごすことができたからだと感謝している。あの頃周囲にいて見守ってくれた人たちはみんな鬼籍に入ってしまった。今の子供たちが老人になった時、この時代を楽しく思い返すことができるように、自分自身がその当時の大人の役目を少しは果たしているだろうか?時々考えてしまう。