無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと8368日 カッコーの巣の上で

人から聞いた話だが、その人の知り合いの中学生が学校にいけなくなり、不登校児を専門とする心理カウンセラーの世話になっていた。日本ではあまり聞かないが、アメリカの映画やドラマではよくでてくる職種だ。椅子に座って穏やかに相手の話を聞いて、いい方向に向かうようアドバイスをする、とまあこんな感じで描かれているように思う。

私は精神とか心理と名のついた職業はあまり信用してないので話を聞くことも無いが、驚いたことに悩んでいる親子にとっては神のような存在でもあるようだ。またテレビで見るアメリカのカウンセラーと違って、少しでもこちらの意見を言うと激昂するらしい。医者にもたまにいるが、自分のテリトリーでは異論は許さんというやつだ。

それでも最後の頼みの綱として利用している親子にとっては、何十年か前に死人まで出した戸塚ヨットスクールのような存在なのかもしれない。この話を聞いた時、昔みた「カッコーの巣の上で」にでてくる看護婦長を思い出した。実際はそんなことはないのかもしれないが、又聞きだから本当のところはわからない。

70年生きてきてわかることは、世の中を構成しているのは立派な人だけではないということだ。手癖の悪いけどいい人もいるし、平気で嘘をつくけどいい人もいる。また正直だが社会に適応できないような人もいる。いろんな人で構成されているのが人間の社会だ。そしてみんなどこかおかしいのも事実だ。

自分自身のことを考えてみても、おかしいことはいくつもある。年齢を重ねるにつれて少しずつコントロールする術を覚えて目立たなくなるだけのことだ。心の問題は根性論では解決できないのはもちろんだが、結局は親も子も、こうあるべきという社会に対する思い込みをいったん白紙に戻すことから始めないと、先へ進まないような気がしている。