無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと8321日 ヤンバル小太郎さん

23歳から24歳まで中野区中野に住み、24歳から25歳まで板橋区小茂根に住み、その後32歳までは東久留米市に住んでいたが、ストリートビューでその近辺を走ってみてもよくわからなくなっている。当時は高い建物もそんなになかったし、都心を離れるとでっかい田舎という感じだった。東京もこの40年で変わってしまったようだ。

マップを見ながらそんなことをしていると、変わる前の東京の新宿歌舞伎町や池袋あたりで当時一緒に遊んでいた友人たちを思い出してくる。歌舞伎町の焼き鳥屋番番にはよく行ったものだ。マップを見てみると場所は変わっているが今もあるようだ。神田のシンガポール横丁、池袋もチャイナタウン化する前は日本人の街だった。今から思えば恥多き人生だったが、いい時代だったのかもしれない。

そんな中で最近ネットのブログで見つけたのが、沖縄県名護市出身の宮城さんだった。なんとヤンバル小太郎という名で舞踏をしていた。写っているポスターの写真は、40年前に一緒に演劇関係のワークショップに参加していた時と比べると、頭も薄くなり歳をとってはいるが、まさにあの沖縄らしい顔つきの宮城さんだった。まだ続けていたのかと驚いた。

すぐに連絡をとろうと思ったがどこにも連絡先を書いていない。そこでブログ主の髪結新三さんにメールを送り、宮城さんの消息を教えてもらうことにした。2日ほどして丁寧なメールが送られてきたが、結論は残念ながら行方不明だということだった。電話をかけても現在使われてないし、フェイスブックも更新されず、メッセージも返事がないのでちょっと心配だとも書かれていた。とにかくあなたのメールアドレスを送っておいたので、ひょっとしたら返事があるかもしれないということだった。その後メールをチェックしているがいまのところ返事はない。

自由奔放な人だったから、ふらっとどこかに行っているのかもしれない。それにしても、つい最近まで踊りをやっているというそのエネルギーには脱帽だ。もし連絡がとれたら彼の公演を東京まで見に行きたいと思っている。もしヤンバル小太郎さんの消息を知る方がおられましたらお知らせください。