三内丸山遺跡は、青森県南部にある縄文時代の遺跡で、約5000年前から約2500年前まで、2500年の長期間にわたって人々が暮らしていたことがわかっている。2500年間存在したということは、今年が皇紀2683年だから神武天皇即位の頃から今まで続いた日本が消滅したということに等しく、その消滅をリアルタイムで経験した人たちにとってはハルマゲドン級の恐怖だったに違いない。
集落が始まった5000年前といえば、大陸では殷や夏の時代をさかのぼる三皇の時代で記録する文字もなく、その頃から2500年間の歴史はおそらく神話として様々な形で子々孫々に伝えられてきたことだろう。その記憶の断片は最後に各地に散らばっていった人たちを通してあの地方のどこかに残されているはずだ。
例えば竹内文書などと同じように歴史関係者から偽書として相手にされなかった東日流外三郡誌だが、それが事実かどうかということを一字一句調べていくのではなく、象徴としてとらえて、三内丸山遺跡のような旧石器時代の遺跡の考古学的調査にこれらの本を取り入れてはどうだろう。
遺跡は単なるものではなく人が生活をしてきた跡だと考えれば、物理的調査としての考古学だけではなく、伝説、口伝、神話を通してそこに暮らしていた人達の生きた証やその精神も同時に探求する、精神考古学とでも呼ぶべき新しい学問が必要ではないだろうか。