天孫降臨とは、素直に読めば天上にある高天の原から、天津日高日子番能邇邇芸命が降りてきたということになる。相曾誠治氏も超古神道の眼目は天孫降臨の確認にあって、天孫降臨の事実が再確認されないと、どんな巧言令色や美辞麗句を尽くしても真の日本史の根幹に触れることはできないと断言している。
さらに、地球上の何処かから移動してきたという説を平面史観と捉えて、それではいくら国体の淵源を力んで説明しても天皇陛下の祖先が地球上の何処かからやって来たことになってしまう。立体史観でみると古事記にある通り、天孫は高天の原からお下りになった神様ということになり、初めて天皇の尊厳性もゆるぎないものになると述べている。
相曾誠治氏は多くを見通していたということは疑わないが、この立体史観にこだわるということ関しては、古事記を理解するうえでの足かせになるのではないかと危惧している。トロイ遺跡発見等をみても、神話が全くの嘘ではないということはわかるが、天から降りてくるということに関しては、何かの行為の比喩だと理解するほうがわかりやすいのではないかと思う。
最近読んだ田中英道著「日本国史 上」に天孫降臨について面白い解釈があった。簡単に言うと縄文時代、鹿島神宮、香取神宮を中心に関東に日高見国(ひだかみのくに)があり日本列島は東日本が中心になっていた。ところが気候の変化と帰化人の影響により西日本に移動する必要が生じ、鹿島から船団を組んで鹿児島に上陸した。このことを後に天孫降臨と呼ばれたのではないか、というような内容だ。
何が面白いかというと、海からくるという発想だ。確かに水平線は空とつながっているように見える。太陽が昇ってくるのと同じ水平線に現れて、真っすぐやってくる船団を見て、天からやって来たと古代人が理解しても何の不思議もない。私自身3歳の時に虹を見て天と地が繋がっていると信じていたのをおぼえている。3歳児の知能が古代人並みかどうかはわからないが、自然科学を全く理解してないという点では同類かもしれない。
なかなか興味深い内容なので皆さんも一度読んでみてください。